改めて人の繋がりと文化の大切さを思う

(鼎 第21号、2011年7月15日)

大震災の衝撃
 2011年3月11日、日本に大きな衝撃が走りました。それは地震という物理的な衝撃だけでなく、日本人である私たちの心を大きく揺さぶりました。私自身、3月11日の前と後では、世界がまったく違って見えるようになりました。大震災のあと数ヶ月の間は、頭の中が空白になって何も考えられませんでした。
 でもそれではいけない。今回の大震災の記憶と教訓を未来につなげるためには、一人一人がそれぞれの立場から、そこで何を感じたか、考えたかを語っていかなければいけない。
ようやくそう思えるようになったのは、つい最近になってからです。
 今回の大震災では、多くの貴重な命が失われました。改めてご冥福をお祈りします。そして被災地で、いまなお多くの方々が悲しみの中にありながらも頑張っておられます。そのようなときに、いま何かを述べることが空しく、また失礼なことになるのではないかと思いながら、この原稿を書いております。どうぞお許しください。

大震災から与えられた課題
 今回の大震災によって、私たちは多くの課題が与えられました。文字通り想定を上回る大津波は、自然の怖ろしさを思い知らせてくれました。これまで日本人は自然を愛し愛されてきました。しかしその自然は、ときとして人に過酷な試練を与えます。自然との共生という言葉がありますが、自然と共生すると言うことは、その厳しい試練をも受け入れることなのです。共生という言葉が、決して美辞麗句ではないことを、改めて思い知りました。
 また福島の原発の問題は、それが人災であるだけに、私たちに深刻な課題を投げかけています。もし原発が、近代科学技術文明の産物として、そして近代社会の要請として存在したものであるとすれば、いま私たちは近代という時代の見直しをも迫られていると言えましょう。もしかしたら、私たちは人類の長い歴史のなかで、物質的な豊かさのみを追求したバブルの時代を生きていたのかもしれません。
 将来の課題でなく、いまの話に戻しましょう。被災地の避難所で、ご自宅が流されてしまった方々、家族を亡くされた方々が、いまなお避難生活を送っておられます。原発で避難されている方々も多くおられます。まだまだ大震災は過去のものではなく、現在そのものなのです。大変な被害に遭われた被災地の方々に、いま私たちに何ができるか。それも重い課題として与えられています。被災地の方々一人一人に一日も早い笑顔が戻るように、それは緊急の課題です。

人と人の繋がりの大切さ
 そのようなとき、震災直後の3月23日、「小さな手のかたもみ隊出動」というニュースが流れました。岩手県のある避難所で、そこにいる小学生10人ほどが「かたもみ隊」を結成して、避難してきたお年寄りのかたもみマッサージをしているというニュースです。お年寄りたちは、子どもたちの暖かい言葉ももらって、涙を流して喜んだとのことでした。
 一方で、お年寄りについては、現地を訪問したあるボランティアの方から、このような話を聞きました。それは、お年寄りたちが、避難所でむしろ生き生きと元気になったという話です。それまでは要介護状態で、一人きりの個室でほとんど寝たきりに近かったお年寄りが、避難所で集団生活を送るうちに、自分で他の人のために何かできないかと思い始め、実際に足腰が回復して動き始めた、というのです。他の人のために役立つことの喜びが、お年寄りにエネルギーを与え、若返らせたということでした。
 この話は、私に一つのヒントを与えてくれました。被災地の方々は、自ら前向きに生きようとされているのです。それを可能にしているのは、まさに「人と人の繋がり」です。私たちにできることは、外から施しをすることではなく、被災地におられる一人一人の活動を支えることなのです。人の繋がりは、被災地の内部だけではありません。メディアの報道、あるいはツイッターなどのソーシャルメディアを通じて被災の状況が世界に伝わると、国内のみならず世界中から応援メッセージが寄せられました。人の繋がりが生まれました。それは多くのボランティアの心を動かしました。

このようなときだからこそ文化が大切
 もう一つ、私が今回のことで実感したのは、広い意味での「文化」の大切さでした。
 例えば、被災地から遠く離れた東京で、多くの人たちが自分に何かできないかと考え始めたときに、比較的立ち上がりが早かったのは音楽家でした。音楽家たちは通常の公演をすぐチャリティコンサートに切り替えて、寄付集め、被災地へのメッセージ、応援の輪を広げる活動を展開しました。一般の人たちも、それに参加することで、被災地への気持ちを一つにすることができました。
 美術を中心とするアーティストたちも、現地でのアートワークショップなどの活動を通して、子どもたちに元気を与えました。そして被災者どうしの励ましにも、文化や芸術は素晴らしい力を発揮しています。被災者が自らおこなう音楽会、さらにはカラオケ大会も含めて、それらはすべて被災地の復興のエネルギーとなっていったのです。
 そしていま、これからの東北の再生は文化以外にないのではないかとさえ、私は思っています。今回の大震災によって、「東北」は世界的に有名になりました。これからどう復興するかが世界から注目されています。願わくば、それは単に元に戻すだけの復興ではなく、新たな時代を先取りする地域モデルがそこで提案されることが望まれます。そのキーワードの一つが「東北の文化」なのです。

東北の文化を世界に
 考えてみたら、東北にはもともと素晴らしい日本固有の文化があります。いまそれを再発見して世界に伝える好機です。
 日本の文化は奈良・京都中心の弥生文化だけではありません。東北地方には、縄文時代からの日本古来の文化があります。近畿を中心とする弥生文化は、渡来系弥生人によってもたらされた、いわば大陸からの借り物でした。これに対して東北の文化は、土地に浸みこんだ文化です。少なくとも私にはそう思えます。近畿地方を中心とする弥生文化、東北地方を中心とする縄文文化、2つあるから日本文化は素晴らしいのです。奥が深いのです。
 特に祭りを中心にした東北文化には素晴らしいものがあります。仙台七夕まつり、青森ねぶた祭、秋田竿燈まつり、山形花笠まつり・・・。さらには、かまくら、なまはげ、津軽三味線などの東北の土着文化もあります。
 でも残念ながら、これらは国内でも鑑賞が難しく、ましてや世界ではほとんど知られていません。祭りなどの多くの行事は、季節が限定されていて混在します。国内でも体験者は少なく、かつ海外からの旅行者が直接体験することは事実上困難であるといえます。
 そのような中にあって、東北の名前が世界的に知られたいまこそ、その文化を発信する好機であると考えています。

人の繋がりと地域文化を21世紀のモデルに
 実は、東北だけではありません。日本には、それぞれの土地に優れた文化があります。それがいままでは東京への一極集中、さらにはグローバル化の潮流のなかで、忘れ去られてきました。ある方が、グローバル化と文化が反対語だとおっしゃったのを聞いて、その通りだと思ったことがあります。
 そうなのです。文化は、その土地に固有のものであり、その土地の人と人の繋がりのなかで育まれてきたのです。それを大切にすることが、私はその地域の「強さ」にも結びつくのではないか、これからの震災にも強い地域作りになるのではないかと信じています。そしてそれが、これからの日本のそして世界の21世紀モデルになってほしいと願っています。