AIという名の宗教 2019.04.28-05.04

質問させてください。「いまAIは、人よりも遥かに膨大な知識を持ち、遥かに高速な演算能力を持ち、自ら四六時中新たな学習に取り組んでいます。あなたは重要な決断を下すときに、人の判断とAIの判断のどちらを信じますか。」

知能は自ら学習するところに本質がある。その知能は他者にはわからない。たとえば子どもの知能は親にもわからない。僕はAIが人の知性を超えるとは思わないけれど、一方で人にとって、その知能が人知の及ばない「自らを超えた存在」のように振舞う日は、決して遠くはない。

近い将来、人が自分で判断することをやめて「自らを超えた存在」の教えに従って行動するようになったら、それはまさに宗教だ。その宗教は、AIという名の神が君臨する。時代は、AIという名の宗教のもとに動くようになる。個人だけではない。経済もそして政治までも。

AIが宗教になったときには、もはやそれは人工知能(Artificial Intelligence)ではない。むしろ万能知能(Almighty Intelligence)として君臨する。AIは、所詮は人が作った人工知能だと思わない方がよい。人が作ったものに人が絶対服従する。それが宗教だからだ。

AIという名の神の教えは、きちんとデータに基づいている。まずは人をメディア漬けにして、個人の行動データをすべて吸い上げる。そのデータに基づいて神はお告げを垂れる。AI教の信者は、便利さの名のもとに、そのお告げに従って行動するようになる。

近代は、人の理性を信じて、自らに判断能力があることを前提とした時代であった。それによって近代のしくみ(たとえば民主主義)ができている。次の時代は人を超える絶対者(AI)を認めて、再び宗教の時代に入る。それは近代という時代が終わることを意味する。AIによって歴史が大きく変わる。

いまの科学技術は、AIによって遺伝子を解析・改変することによって、ヒトをさらに進化させようとしている。それはダーウィンの進化論に基づいた自然進化ではない。AIの英知による計画的進化だ。そのとき人類はもはやホモ・サピエンスではなくなる。人類は新たな「人類」へと進化する。