1975 
  1975.4 東京大学助教授
1976 

 
1977 

 
1978 

 
1979 

 
1980 

 
1981 

 
1982 

 
1983 

 
1984 
  1984.2-12 スタンフォード大学
客員研究員(文部省在外研究員)

1975年に東京大学助教授となり、77年に結婚、78年に長男、81年に次男誕生。
この30代は、社会人としては、大学あるいは学会という組織へさまざまな形で適応した時代、私人としては、家庭の建設を通じて経済面でも意識の上でも自立した時代であった。

特に学会活動には力を入れ、専門領域のシンポジウムの幹事等をつとめるとともに、学会(電子情報通信学会等)の組織改革にも尽力した。

研究面では、通信理論と通信方式に加えて、当時はまだ黎明期であったディジタル信号処理を専門とした。特に、情報理論を信号処理に応用することにも関心を持ち、時系列における情報の流れの理論を体系化して、脳波などの生体信号解析へ適用した。またポジトロンCT画像やMRI(当時はNMR-CTと呼んでいた)の統合的な生体画像処理にも挑戦した。

あわせて、生体(特に脳)における情報処理様式に強い関心を持ち、生理学や解剖学の専門書を読み漁って、独自の情報処理モデルを探求した。これは本業とは別に趣味としておこなった研究であったが、その一部は中山書店刊の生理学体系でも「原島のモデル」として紹介されている。

30代の最後は、文部省在外研究員として約10ヶ月、米国スタンフォード大学とドイツのミュンヘン工科大学に滞在した。




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