1985 

 
1986 
  1986.5 工学部総合試験所助教授
1987 

 
1988 

 
1989 

 
1990 

 
1991 
  1991.1 東京大学教授
1992 
  1992.4-1995.3
工学部電子情報工学科学科長
1993 

 
1994 

 

在外研究から帰国した年の秋の1985年10月に、卒論、大学院、講師、助教授の時代を通して直接指導していただいた恩師の宮川洋教授が、タイのバンコックに出張中に急逝された。結果として、大所帯であった宮川・原島研究室の全体を引き継ぐことになり、学科の好意で、86年5月にスペース的に余裕のある工学部総合試験所へ研究室ごと移転した。

研究テーマの全面的な見直しもおこなった。そのキーワードは、「知情意を兼ね備えた通信」すなわち
 知:知識や常識を利用する通信
 情:情(なさけ)や感性をも伝えられる通信
 意:意味や内容に立ち入る通信
であった。

具体的には、85年の秋から画像の意味内容に立ち入る知的画像符号化の研究を開始、頭の良い(Intelligent)物知りな(Knowledge-based)意味を理解する(Semantic)通信を目指して、「知的コミュニケーション」なる新しい技術領域を提唱した。これは88年頃より顔画像処理などの「感性コミュニケーション」の研究へと発展した。さらには、92年から画像通信の枠組みを超えた「空間共有コミュニケーション」の研究を開始した。

学会でも、電子情報通信学会に、89年に「知的コミュニケーションと符号化第三種研究会」、91年に「ヒューマンコミュニケーション研究会」を設立、これは95年に発足した電子情報通信学会ヒューマンコミュニケーショングループの前身となった。




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