芸術を工学の基礎科目に

(オームブレテン2015年秋号巻頭言)http://www.ohmsha.co.jp/bulletin/pdf/206_ohmbulletin.pdf

 技術と科学は一緒にされて「科学技術」と呼ばれることが多い。それが本当に技術の真の姿なのか。最近疑問に思うようになった。
 
 歴史を振り返ってみると、科学と技術はルーツが違う。科学の語源は、ラテン語の「スキエンティア」で、その意味は「知ること」だ。それに対して技術は「作ること」である。その語源は、ラテン語では「アルス」で、それが英語で「アート」になった。アートというと、いまでは芸術を思い浮かべる人が多いが、そもそもは技術であったのである。
 
 考えてみれば、もともと技術と芸術はほとんど一体であった。例えば、ルネッサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチの時代は、その区別はほとんどない。イタリアのフィレンツェ近郊のヴィンチ村にあるダ・ヴィンチ博物館に行くとそれがよくわかる。レオナルドは技術者でもあったのだ。
 
 その技術が科学とつながったのは、ついこの間の産業革命(厳密には第二次産業革命)以降である。技術は科学に基づいて営まれるようになり、いつのまにか技術と芸術は互いに遠い存在となってしまった。それは技術が、もっぱら機能を重視したからである。科学の知は機能を向上させるための有力な方法論となり、工学は応用理学として発展した。
 
 技術の発展途上期はそれでよかったかもしれない。しかし技術は、成熟するにつれて機能だけでなく美をも求めるようになる。もう一度、技術は芸術に近づいていい。
筆者がこのような主張をするのは、工学はもともと「文化創造学」だと思っているからである。20世紀までは物質的な豊かさの提供が文化であった。それを工業が担ってきた。その限りでは、文化創造学は「工業生産学」でよかった。
 
 しかしそれはいま変わろうとしている。技術が物質的な豊かさだけでなく、心の豊かさまでも含めた真の文化を目指すとき、その基礎科目は当然ながら理系だけではないはずである。美への感性がなければ、文化は創造できない。これからの技術教育は、数学と同じように、美を扱う芸術もその基礎科目としてあっていい。
 
 数千年の歴史を持つ建築は、技術そして工学の大先輩である。大学の建築学科では、機能(構造)だけでなく、美(意匠)もあわせて教える。それに対してわずかな歴史しかない他の分野では、美に関連するカリキュラムはない。
 
 残念ながら今の工学部の教員は、美を教えることはできない。自らが学んでいないからである。しかしそれは変わらなければならない。変わらなければ工学は文化創造学になれない。