母親の胎内にいるときに1945年4月の東京大空襲(城北)の戦災に会い、終戦の直後の9月に東京で生まれました。誕生後は府中市で育ち、私立明星幼稚園・明星小学校に通い、小学3年生のときに東京目黒区の柿の木坂に転居して、目黒区立東根小学校を1958年に卒業しています。
その後、私立麻布中学校・高等学校に在学、1964年18歳のときに大学に入学し、2009年3月に45年ぶりに定年という形で東京大学の卒業を許されました。この間、東京大学では工学部電子情報工学科と大学院情報学環に所属しました。
もともとは情報理論を中心とする数学の理論の美しさに魅せられて研究者となりましたが、その後は一貫して人と人の間のコミュニケーションを、リアルとバーチャルの両側面から技術的にサポートすることに関心を持ってきました。その一つとして1990年に新たな技術分野として「ヒューマンコミュニケーション工学」を提唱して、もともとは電気通信工学が専門であった研究室の中心テーマとしました。
また人の顔にも興味を持って1995年に「日本顔学会」を発起人代表として設立、学際分野としての「顔学」の構築と体系化を目指してきました。これを通じて、理系と文系さらには科学と文化・芸術を融合した新たな学際情報学の構築に関心を持ち、大学での大学院部局の創設にも尽力しました。あわせて文化庁メディア芸術祭審査委員長・アート部門審査員、グッドデザイン賞(Gマーク)審査員などもつとめました。
定年後は、東京大学名誉教授として、明治大学客員教授(総合数理学部)、立命館大学客員教授(衣笠総合研究機構、文学研究科)、女子美術大学客員教授(芸術学部)などをつとめましたが、2015年12月に古希を過ぎて再び東京大学に特任教授として戻り、2021年3月まで全学共通の文理にまたがる大学院教養講義を担当しました。
実は、原島の気持ちとしては、定年後に林住期に入り、それまでの家住期とは異なる第二の人生を歩んでいます。
毎月の個人講演会(HC塾)、毎週土曜朝のZoomでの雑談(土曜朝つぶやき塾)、そして「原島塾講義録シリーズ 俯瞰する知」全十巻の執筆と関連する活動が中心ですが、よろしければ今の活動を記したここをご覧ください。
※原島のより詳しい生い立ちは、下記の東大時代のホームページにのっています。
https://harashima-lab.jp/old/