パンドラの箱  2014.11.02-11.08

ヒトはホモ・サピエンス、英知人と呼ばれる。人の知への欲望、好奇心は止まることを知らない。その好奇心はときとして、この世のあらゆる災いが詰まった箱、絶対に開けてはいけないと言われていたパンドラの箱を開けてしまうこともある。

物理学の知が、物質の構造を原子核レベルまで明らかにしたとき、人類はその知を活用して原子爆弾を生み出し、多くの尊い命を奪ってしまった。いま地球上に、数万の核弾頭がある。核戦争になれば地球は終わりになることがわかっていながら、人類はそれを廃棄できないでいる。

科学技術の知は、地球にはもともと存在しない物質を大量に生みだしてしまった。新たに作りだした物質は、自然界で循環せずに廃棄物として蓄積する。もっとも深刻なのは人工的な核操作によって作りだされた放射性物質であろう。それは後世に負の遺産として残る。

生物学の知は、ヒトゲノムと呼ばれるヒトの遺伝子のすべてを解読してしまった。遺伝子の組み替えも可能になった。人類は、これから計画的にヒトの遺伝子を進化させようとするかもしれない。生命が誕生して以来続いてきた生物の自然進化の歴史は、そこで終わるのだろうか。

脳科学の知、さらには高度に発展した心理学の知は、人の心までも解明してしまうだろう。そのとき果たして人はその知をどう使うのだろうか。人の心を完全に制御する機械を作りだすのだろうか。あるいは人よりも遥かに優れた人工知能を生みだして、人にそれを組み込むことを考えるのだろうか。

宇宙論を少しばかりかじったとき、ちっぽけな存在の人類が、宇宙のしくみをここまで解明したことに感動した。一方で怖くなった。もし人体に巣食うガン細胞が知能を持って、人体のしくみをすべて解明したとすればどうなるだろう。人類はいま、そのようなガン細胞になっているのかもしれない。

アダムとイブは、善悪の知識の木になっている禁断の果実を食すことによって、楽園を追われた。いま人類はその業を背負っている。パンドラの箱を開けたいという知の欲望を制御することができない。それが自らを滅ぼすことになることがわかっていても。