〆切 2017.12.24-12.30

今日もまた〆切に追われる日が続く。考えてみれば僕の人生でいつも〆切があった。小学校のときは宿題、大学に入ってからはレポートの〆切、その後も〆切だらけだ。もしこの世の中に〆切がなければどんなにいいだろうといつも思った。しかしそれはありえない。〆切=人生なのだ。

〆切は英語ではdeadlineだ。何て怖い言葉だろう。その線を過ぎると死が待っているという意味なのだろうか。カタカナのデッドラインで辞書を引くと、越えてはならないぎりぎりの線、死線とある。僕はいままで何度もその線を越えた。申し訳ないけれどもまだ生きている。

五十日(ごとおび)と呼ばれている日がある。五の倍数の日だ。この日は車で道が混む。これらの日に決済を行う企業が多いからだ。手形の不渡りをだすと信用がなくなり、倒産に至る。まさに〆切日は文字通りのデッドラインだ。道が混むなどと不満を言うのはこれからやめよう。みな必死なのだから。

僕は大学で研究者・教育者としての道を歩んだので、〆切という意味では優雅な職業と思われているかもしれない。それでも、成績報告の〆切、学会発表の〆切、研究費申請の〆切、報告書の〆切、近年は上からの各種調査がやたらに多くなった。どうでもいい〆切ほど、しつっこく催促される。

ときどき聞かれる。大学院生はよく限られた期間で成果をだしますね。理由ははっきりしている。学位論文の提出という〆切があるからだ。なぜか〆切近くになると成果が出る。大学の研究はこれで成り立っているとも言える。〆切があることに感謝せねばならない。

定年になって組織に属さなくなると、事務的な〆切はほとんどなくなる。一方で僕のような職業の場合は原稿執筆と講演準備の〆切は残る。これは仕方がない。そのうち人生の〆切が来るだろう。これは絶対に延ばせない。そのうちなんて言っていると、あっという間に〆切になりそうな気がする。

「年内には何とか」。それを言い訳にしてとりあえずの〆切を伸ばしてきたけれども、明日は大晦日、もう後がない。次の言い訳は「正月明けまでには何とか」だけれども、それをすると正月がつぶれてしまう。何とか頑張ることにしよう。人生〆切があるから成長があると自分に言い聞かせて。