駄目もと 2018.03.18-03.24

この歳になって思うのだけれども、僕の行動原理はどちらかと言うと「駄目もと」だったような気がする。いい加減だと言われるかもしれないけれど、駄目もとだったから、楽しい人生を送ることができた。開き直って言えば、駄目もとは素晴らしい。いま心からそう思っている。

「駄目もと」は、結果にこだわらない生き方だ。結果よりもプロセス、すること自体に意味を見出す。すること自体で元をとる。結果はおまけ位に考えた方がいい。結果が出なければ、しなかったと同じと考える人もいるけれども、そんな了見の狭い生き方では、結局何もできない。

「駄目もと」は、効率を求めない生き方だ。駄目もとは、文字通り駄目で終わることが多いから、効率という観点からは決して賢い生き方ではない。中途半端に賢い人は駄目もとができない。効率ばかり考えて冒険ができないから、小さなことしかできない。

「駄目もと」であれば挑戦ができる。僕は研究者として生きてきたけれども、駄目もとで始めた研究が一番うまくいった気がする。もちろん学生にはそれなりの見通しがあってテ-マを与えたけれども、駄目もとでそれ以上を期待した。それを学生は素晴らしい成果につなげてくれた。

「駄目もと」で行動することは、若者の特権だ。たとえば恋の告白は「駄目もと」に限る。落ち込むことが大部分であるけれども、若ければすぐに元に戻る。万に一つでもうまくいけば、夢のような素敵な人生が待っている。駄目もとで挑戦すること、それは若者に与えられた特権だ。

「駄目もと」で行動することは、老人の特権だ。近い将来みな同じ運命になるのだから、駄目もとで楽しいことをしなければ損だ。躊躇している余裕はない。そのうちになどと思っていたら、せっかくの好機を失ってしまう。老人にはいましかない。駄目もとしかない。

「駄目もと」には夢がある。たとえば宝くじ。ほとんどの人は駄目もとでささやかな夢を買っている。もしかしたらいま、駄目もとは宝くじ位しか許されていないのかもしれない。時代に余裕がなくなったのであろうか。夢をもって駄目もとで挑戦することがなくなったら、その社会には未来がない。