教科書 2018.03.25-03.31

定年前に担当していた科目の教科書を、ようやく出版することができた。いまその続編を執筆中だけれども、僕がその教科書を使って講義することはもはやない。自分のためでなく、僕が何を学生に伝えようとしてきたかを残す。残るのは恥ずかしいけれど、それが義務だと思ったからだ。

教科書は、その分野を初めて学ぶ学生へのメッセージだ。一人一人の学生の顔を思い浮かべながら、そのときの講義ノートを教科書にする執筆作業は、それなりに楽しかった。その学生はいまや偉くなって、僕の講義のことなど、すっかり忘れているだろうけれども。

教科書を執筆するときに、絶対に想定してはいけない読者がいる。同じ分野の口うるさい専門家だ。○○の表現が厳密でない。××が抜けている。いちいちそれを気にしていると、教科書が難しくなる。そして盛り沢山になる。教科書でなく専門書になってしまう。

理系の教科書では数学の素養が必須だ。第1章を「数学的な準備」にしたくなる。しかしそうすると、少なからぬ読者がその第1章で挫折することになる。肝心の本題に進む前に、そこで終わってしまう。挫折する前に、まずは重要なことをしっかり学んでもらう。教科書はそうでありたい。

教科書を執筆するうえで、心掛けなければいけないことがある。それはその教科書を使用して授業する先生に恥をかかせないことだ。著者は自分しかわからない研究成果を絶対に教科書に記してはならない。学生から質問を受けたときに、その先生が答えられなくて恥をかくことになるからだ。

ベストセラーとなった物理の教科書を執筆した伯父がいた。その伯父にわかりやすい教科書にする秘訣は何かと訊ねたことがある。その答えはこうだった。「漢字とひらがなのバランスをよくすること」。予想していなかった答えであったが、今になってみるとわかるような気がする。

学生に評判だった名講義があった。教科書がなく、板書きの美しさと名口調に学生はしびれた。その先生が教科書を出版した。そのときから講義はつまらなくなってしまった。そうでなく講義をより面白くする教科書、僕が執筆した教科書がそうであってほしいけれども、これは祈るだけだ。

Comments are closed.