人の品種改良 2018.04.01-04.07 

いまやダーウィンの自然進化論の時代ではない。人の英知によって自らを進化させる時代になった。これはエイプリルフールではない。人はいま自らの遺伝子を操作することをも可能にしつつある。これは人類に新たな問いを突きつけた。計画的な人の品種改良は、どこまで許されるのか。

人種を人為的に改良しようとする歴史は、ギリシャのプラトンに遡ることができるらしい。プラトンは優秀な男性と女性が結婚すれば優秀な子孫が生まれるとして、それを国家管理することを提唱した。原典は読んでいないけれどもプラトンの著述「国家」に、そのような記述があるらしい。

19世紀後半になって進化論が登場すると、ダーウィンの従兄弟のゴルトンが、人為的な淘汰による人類の品種改良を提案した。優生学である。この思想は人類の進歩を可能にするものとして、広く受け入れられた。1921年の第2回国際優生学会の標語は「人類進化の自己決定」であった。

優生学は20世紀になって世界的に広がった。最も熱心だったのはアメリカだった。20世紀初頭に全米32州で断種法が制定され、知的障害者、梅毒患者、性犯罪者などが対象となった。それにナチスドイツが刺激されて、積極的に優生政策を進めた。それがユダヤ人の大量虐殺につながった。

いまほとんどの国で優生学に基づく優生政策は、差別に結びつくものとして禁じられている。しかし一方で、優秀な子孫を残したいと願うのは、人の本能なのだろうか。いま新たな形で優生学が復活しつつあるように見える。それも水面下の忍び足で。

優生学は国家主導でおこなったので問題があった。個人、特に親の自由意思でおこなうことには、何ら問題がない。優れた遺伝子の子どもを持ちたいと願うのは、親の幸福追求権であり、国がそれを制限することはできない。新しいリベラル優生学はそう考える。それを推進するビジネスも生まれている。

出生前診断あるいは体外受精の着床前診断によって、「望ましくない」子を避けて「望ましい」子を選別して産むことは既に可能である。デザイナーベビーとして「より望ましい」子を設計することも夢ではない。このような人の品種改良が、人類の未来を約束するのだろうか。僕にはわからない。

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