・・・・・ 2020.09.06-09.12

今週でこのつぶやきは終わる。10年間ほとんど毎日続けてきた営みに、僕なりに区切りをつける。この最後の週のタイトルをどうするか、ずっと気になっていた。普通ならば「さようなら」かもしれない。でも、それは誤解を与える可能性がある。僕はまだ人生を終えるつもりはない。

今週でこのつぶやきは終わる。英語では、別れるときは“Good bye”だ。これはもともとは“Godbwye”で、“God be with you”つまり「神が汝とともにありますように」の意味らしい。“See You!” とも言う。「また会おう」だ。これは厳密には別れではない。

今週でこのつぶやきは終わる。日本語では、なぜ別れるとき「さようなら」と言うのだろう。辞書によると、「さようなら」は「左様ならば(それなら)」を略した語とされる。別れの言葉としては、あまりにもそっけない。でもそれでいいのかもしれない。いつかは別れるのだから、淡々と別れよう。

今週でこのつぶやきは終わる。別れの言葉として「ごきげんよう」もある。明治の頃は、男性が「さようなら」、女性が「ごきげんよう」と、掛け合いのように言い分けていたようだ。このような掛け合いも粋でいい。別れは粋がいい。

今週でこのつぶやきは終わる。別れの言葉として、「さらば」もかっこいい。この語源は、さり(然り)の未然形+ば(仮定)で「そうであるならば」という意味で、「さようなら」とほぼ同じだ。「さらば、これにてご免」。昔の武士は、未練がましくしないように、別れ方にもこだわったのかもしれない。

今週でこのつぶやきは終わる。終わることによって、大げさに言えば新たな人生が始まる。また形を変えてつぶやくかもしれない。それは僕がまだ元気である証拠だ。一方で気分次第で突然やめるかもしれない。それは必ずしも病気あるいはそれ以上のことが起きたわけではないので、心配しないでほしい。

2020年9月12日、晴れて後期高齢者になった。今日で10年続いたこのつぶやきが終わる。最後に何をつぶやくか、迷っているうちに1週間がたってしまった。「さようなら」は寂しい。そのもともとの意味である「では・・・」くらいがいいけれども、思い切ってこれにしよう。「・・・・・」