感性研究と私

(日本感性工学会誌「感性工学」2011年6月)

出会い
まずは私自身の紹介から始めることをお許しください。私と感性研究の出会いは、それほど昔ではありません。私自身の専門は、コミュニケーションの基礎を技術の立場から探ることで、もともとは情報理論を研究していました。いわば情報理論という数学的な方法論からのコミュニケーションの研究です。それが、今から約25年前、より自由な立場で人のコミュニケーションの本質を探ることに興味を持つようになりました。
 そのきっかけはテレビ電話の研究です。テレビ電話では顔を見せます。その頃の通信は(今でもそうですが)ありのままの情報を忠実に送ることが使命とされてきました。でもありのままの顔を忠実に送って、果たして人は喜ぶでしょうか。むしろ、気持ちよくコミュニケーションできることが重要なのではないか。テレビ電話で、自分の一番気に入った顔写真をまず送って、その顔に表情付けしながら相手とコミュニケーションできたら・・・。そのような研究を始めました。

発展
 この研究は私にとって大きな転機となりました。私の関心は、単なる情報伝達から感性的なコミュニケーションに移っていきました。学会では、ヒューマンコミュニケーション工学という新しい分野の誕生(1990)に関わることができました。文部省科研費重点領域研究の「感性情報処理の情報学・心理学的研究」(1992-1995)のお手伝いもできました。通産省(NEDO)の「ヒューマンメディアの研究開発」(1996-2000)でも感性処理が重要な柱となりました。
 また、テレビ電話の研究で、たまたま顔を対象としていたことから、顔そのものにも興味を持つようになりました。それは顔学として発展して、日本顔学会の設立(1995)に結びつきました。これとは別に空間の感性にも興味を持ち、その立場からバーチャルリアリティや超臨場感コミュニケーションの研究にも関わっています。
 最近では、より広く科学技術と文化芸術の融合にも関心を持っています。文化庁メディア芸術祭やグッドデザイン賞の審査員をつとめ、科学技術振興機構のCREST「デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術」(2004-2012)という研究プロジェクトのお世話もしています。また、未来世代の育成へ向けて、小学校の図工の時間の応援もしています。


 2年前に大学を退職して少し自由になりました。いまの私の夢の一つは、文化や感性をキーワードとして、少しおおげさに言えば、科学技術のありかたを見直すことです。
 今さら言うまでもないことですが、デカルトの時代から近代科学は理性で扱えることのみを対象として、感性的なものを除外してきました。そこでの方法論は分析であり、それによって知を蓄積することが科学の使命とされてきました。
 工学も同様でした。工学はその発展途上期においては、その方法論として数学や物理学などが必要であることから、応用理学として位置づけられてきました。研究の発表や評価も、自然科学と同じしくみでおこなわれてきました。
 しかし考えてみれば、工学の目指すところは、分析や単なる知の蓄積ではなく、むしろ文化の創造です。その意味では工学は「文化創造学」なのです。工学を文化創造学として再構築すること、それがいまの私の夢です。

現実
 そこでは、感性が重要なキーワードとなるはずです。でもその研究を科学技術の流れの中に位置づけることは容易ではありません。
 感性研究それも深い感性研究は、分析だけでは不十分です。むしろ表現が必須になります。分析は論文という形でまとめることができますが、表現はそうはいきません。まったく新たな研究の発表方法、そして評価のしくみが必要になります。
 さらに言えば、深い感性研究は、それを理解するためにはトレーニングが必要になります。例えば物理学の研究を理解するためには高等数学のトレーニングが必須です。感性研究も同じなのです。誰でも理解できるものではありません。残念ながらいまの科学技術の中心にいる人たちは、そのトレーニングができていませんから、深い感性研究を理解できません。それが状況を厳しくしています。

もう一度、夢
 それではどうすればいいのでしょうか。答えは残念ながらいまの私にはありません。深い感性研究は、それ自体が人に感動を与えるものでなければならず、まずはそれを生み出していくこと、それ以外にないのかもしれません。そして、それこそ新たな感性を持った未来世代をしっかりと育てていくことが重要です。夢はまだまだ数十年、数百年続きそうです。
(日本感性工学会誌「感性工学」, Vol.10, No.3, pp.136-137, 2011.06 所載)

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