化粧考

(日本VR学会誌2012年6月)http://journal.vrsj.org/17-2/s6-7.pdf 

 かなり前のことであるが、あるボディ・ペインティングの写真集に次のような一文を寄せたことがある。
 「神は芸術家である。蝶、孔雀、熱帯魚。いずれも動物の体をキャンバスとした見事な作品群である。ところが人に対しては、肌という未完のキャンバスのみを用意された。そして人は、そのキャンバスを自ら彩る特権が与えられた・・・・・」
いまでもまさにその通りだと思う。しかし改めて思う。人はなぜ自らを彩るのか?
 
 彩り方にもいろいろある。すぐに落とせる化粧もあれば、刺青のように一生消えないものもある。形そのものを変えてしまう美容整形も、その範疇に入るかもしれない。とりあえずここでは化粧を中心に考えることにしよう。化粧は、「化けて粧う」と書く。それは本当に化けているのだろうか。

 女性になぜ化粧するかと聞くと、それはエチケットあるいはマナーだと言う。顔の健康のために化粧は大切という答えも返ってくる。確かに化粧にはそのような意味もある。化粧を身だしなみとして広くとらえれば、男性の整髪やひげ剃りもそれに含まれる。爪を切ることもそうだろう。
 
 日本では、外見を気にすることを否定的にみる文化がある。「人間顔じゃないよ、心だよ」という言い方がそれを象徴している。その観点からは、とりあえずエチケットとか健康とか、無難な答えをしておいたほうがいい。 でも、化粧はそれだけではないだろう。

 女性の化粧の本音は男性を誘惑するため・・・、男性は女性の化粧をそのように見る傾向がある。一部の女性はそうかもしれない。しかし、化粧を男性への誘惑とみなすことは、勝手な男性目線である。男性中心の思い上がりであると言ってもいい。
 
 いま、女性はファッションも含めて自分を美しく粧うときに、男性はほとんど意識していない。ましてや男性を誘惑することなど考えていない。むしろ同性である女性の視線を意識する。男性は完全に蚊帳の外にある。
 
 女性は、ある意味では見られる存在である。電車の中で、男と女の間でどのような視線が多いか、いい加減に調べたことがある。男から女へ、女から男へ、男から男へ、女から女へ、果たしてどの組み合わせの視線が多いか。その中で、僕には「女から女への視線」が多いように見えた。その次が「男から女への視線」であった。
 
 特に、それなりの美人がそれなりの美人を見るときの視線は強烈である。視線がまず相手の全身を下から上へ舐めまわして、即座に勝った負けたの表情をする。厳しい世界を彼女たちは生きている。
 
 女性が同性の視線を意識するのは、一つには競争心があるだろう。一方で、化粧には流行がある。みな同じような化粧をする。そのほうが安心できるという側面がある。例えば、女子高生が仲間にいれてもらうために同じ化粧をする。同じ化粧をすることにより仲間意識が高まる。職業によっても化粧のしかたが違う。逆に言えばその職業に典型的な化粧法がある。就活のための化粧法というのもありそうである。
 
 化粧には、コンプレックスを隠すためという意味もある。シミ、シワ、タルミ、・・・。男性にはこれに相当するものとしてハゲがある。できれば隠したい。ハゲは別として、肌についてのコンプレックスを隠すには、化粧が一番手っ取り早い。コンプレックスだけでなく、そもそも自分自身を隠したいという欲求もあるかもしれない。
 
 より積極的な化粧もある。化粧によって自分自身を元気づけることができる。化粧することは英語でmake oneself up、文字通り自分自身をアップさせることだ。いまは化粧をメイクと呼ぶことが多くなっている。化粧(メイク)によって、楽しくなる。勇気がでる。積極的になる。逆に朝の化粧のノリが悪いと、その日一日が何となく憂鬱になる。

 化粧はエネルギーである。老人ホームで、そこにおられる方々に化粧してさしあげるボランティア活動がある。化粧することにより、みな明るくなって元気になるという。もしかしたら、それによって医療費も助かるかもしれない。はっきり言おう。見かけは大切なのだ。それは他人の目を気にすることではなく、自分自身のために大切なのだ。
 
 美容整形も、同じような効果がある。顔にコンプレックスがあって、それによって人生が消極的になっているときに、そのコンプレックスがなくなれば、美容整形はその人にプラスになる。逆に、顔の一部を整形することによって、別の部分のコンプレックスが新たに生まれ、整形を繰り返すことになるようであれば、明らかにマイナスである。美容整形は、精神科医とタイアップした方がいい。

 美しいことは楽しいことだ。人生が前向きになる。明るくなる。自分が美しいと思うことによって、その人はさらに美しくなる。そのような気持ちで自らを美しくすることは、周りに対する配慮でもある。美しい人は、周りの人を楽しくする。言いかえれば、見かけがどんなに美しくても、周りの人を暗くするようであれば、それは美しくない。
 
 僕は、女性は美しくあって欲しいと思う。それは決して若く見せることではない。それぞれの年代に美しさがある。それぞれの生き方によって異なった美しさがあっていい。もちろん男性も同じである。男性にも美がある。

 さらには、化粧にはこのような効果もある。それは別の自分になることである。僕は、人には複数の顔があっていいと思っている。別に多重人格になることを推奨しているわけではない。なぜ顔は一つでなければいけないのか。そもそも自分の本当の顔とは何なのだろうか。
 
 もしかしたら、いまの自分の顔は、自分が属している社会や環境が決めているのかもしれない。職業によって期待される顔というものがあって、知らず知らずに自分の顔をそれに合わせているのかもしれない。いつもそのような与えられた顔をしている必要はない。職業の顔と家庭の顔、昼の顔と夜の顔、それぞれが違ってもいい。そのどちらもがその人の顔であっていい。
 
 たまにはいつもと違う化粧をしてみよう。別の顔を持ってみよう。もしかしたらもう一人の違う自分を発見できるかもしれない。社会の束縛から自分が解放されるかもしれない。それ以上に自分自身の束縛から解放されるかもしれない。

 さまざまな顔を持つことによって、そのうちの一人の自分が挫折しても、まだ別の自分があることを知ることができる。もともと人は多様な存在なのだ。それに気づいていなかっただけなのだ。それに気づくことによって、人は本当に自由になれる。自由な生き方ができる。

 化粧にはそのような力がある。決してそれは外面(そとづら)だけを気にすることではない。ましてや化けて粧うことではない。

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