足し算のメディアと引き算のメディア

(NHK技研R&D2013年1月)http://www.nhk.or.jp/strl/publica/rd/rd137/PDF/P02-03.pdf
 
 スーパーハイビジョンが現実のものとなってきた。思えば,戦後の日本でテレビジョンの実用化が進められたのが1950年代,ハイビジョン技術が発展したのが1980年代であったから,大ざっぱではあるけれども,30年ごとにテレビジョン技術は大きな変革を遂げてきたことになる。この先30年後には筆者はこの世にはいないだろうけれども,テレビジョンを中心とする映像技術は更に進化するのだろうか?
 
 スーパーハイビジョンは既に人の目の解像度の限界を超えているから,もはやこれで十分であるとする考え方も無いではない。しかし,筆者はそうは思わない。人は与えられた貧弱なメディアで満足する傾向がある。NTSCのアナログ放送からハイビジョンのディジタル放送に移行するときもそうであった。しかし,今,大画面のテレビでハイビジョン品質の番組を視聴すると,今までのアナログ放送のNTSC品質がいかに貧弱であったか,改めて気付く。
 
 スーパーハイビジョンはすばらしい技術である。一方で,開発者の方には申し訳ない表現かもしれないけれど,スーパーハイビジョンといえども,まだまだ貧弱なメディアである。例えば,全天周のプラネタリウムをスーパーハイビジョンで投影することを考えてみよう。果たして何等星までの恒星を観測することができるだろうか?更には,将来の夢の3次元技術とされる高精細ホログラフィーで,波面の干渉をそのまま記録・伝送するためには,今よりもはるかに高い解像度が必要とされる。
 
 もう1つ,個人的に夢見ている技術がある。それは身近な「鏡」の電子的な実現である。鏡は無限の解像度を持つ反射型3次元ディスプレイである。そこに映されている映像は,それを見ている人の動きにインタラクティブに,時間遅れ無しに反応する。超薄型で消費電力も無い。もし,そのような形で任意の映像を映し出すことができれば,それは究極のディスプレイと呼ぶことができよう。それが実現されれば自惚(うぬぼ)れ鏡も夢ではない。
 
 これまで臨場感を高めるためにさまざまな技術開発が行なわれてきた。白黒のテレビジョンはカラーになり,走査線の数が増えた。立体テレビも度々話題になり,一部は実用化された。技術の立場から見ると,このようなカラー化,高精細化,立体化は,それぞれの表現軸方向への量的な拡大である。カラー化は色彩のスペクトル軸方向の拡大,高精細化は空間軸方向の拡大,立体化は2次元から3次元という次元方向の拡大である。時間軸方向の拡大も,高速度カメラなどの技術開発で積極的に進められている。
 
 しかし,筆者はこのような表現力の拡大だけが,これからの技術開発の方向であるとは思わない。本稿のタイトルは「足し算のメディアと引き算のメディア」である。その観点からは,今までの技術開発は全て足し算であった。それまでの機能を拡大し,更には,新たな機能を付け足すことによって臨場感を高めてきた。
 
 一方の,引き算のメディアとは,いったいどのようなものをいうのだろう。かなり前,確か1990年代前半であるが,筆者は「究極の臨場感メディアは俳句である」という趣旨の講演をしたことがある。僅か17文字に圧縮された俳句は,決して臨場感が貧弱なメディアではない。そこには無限の可能性がある。
 
 俳句は少し極端な例かもしれないけれど,なぜ引き算をするのか?それは,引き算をすることによって,逆に,人の感性を引き出して高めることができるからである。足し算のメディアによって,外部から人に全ての情報を与えてしまうと,人はそれ以上に何も想像することができなくなってしまう。感性が麻痺(まひ)してしまう。
 
 俳句は,メディアとしては貧弱に見えるかもしれないけれども,人の心の中の想像力を刺激する。そして臨場感が心の中に膨らむ。それに感動する。心の中に膨らんだ臨場感は外から与える刺激が無くなっても,すぐには消えない。
 
 筆者は,臨場感とは外部から感覚器に対して一方的に与えものではなく,人がもともと持っている感性を引き出すこと,それによって得られるものだと思っている。全てを一方的に与えて,人の感性を麻痺させては逆効果である。そのためにも,引き算が必要である。引き算は,人にとって本当に必要な刺激だけを抽出する作業である。それによって人の感性を育むことができる。メディアは人に対してもっと謙虚でならなければならない。
 
 このように言うと,スーパーハイビジョンなど,高臨場感を目指す方向は無用であると言っているように聞こえるかもしれない。もちろん,筆者の考えは逆である。引き算をするためには,その元が豊かなメディアでなければならない。貧弱なメディアから引き算はできない。引き算をしたら何も残らない。
 
 スーパーハイビジョンの時代になって,メディアはようやく少しずつ引き算ができるようになってきた。足し算は今までの技術を延長することによって,その将来をある程度予測できる。一方の引き算はそう簡単ではない。技術に感性が要求される。更には,技術者の世界観や人生観,価値観も関係するかもしれない。それによって,これからメディアが本当に感動を与える時代が来る。メディアがおもしろくなる。