文と理 2010.10.03-10.09

ある中学生から、自分は理系なのか文系なのか悩んでいるとの相談を受けた。確かに、文系、理系という分け方がある。大学受験を控えた高校では当たり前になっているけれども、いまでは中学から両者を区別しているのだろうか。

「数学が嫌い」 それだけの理由で、いわば消去法で文系が決まる。別に文系が好きだからではない。欧米では、数学が趣味の文系研究者も少なくない。なぜ日本ではほとんどいないのか?

もともと人間は、文系と理系にきれいに分けられるのか? 否定したいところだけど、僕には結論がでていない。確かに両者は発想法が違う。文化も違う。それは人間として本質的なことなのか。それとも教育も含めて社会のしくみがそうさせているのか。

大学では「文理融合」が話題となる。これを謳わないと新しい組織ができない時期があった。でもそれは簡単ではない。なぜ「文理融合」なのか?そこにどのような意味があり、魅力があるのか?それが明確でないと失敗する。

「文理融合」には順番がある。まずは「文理越境」、ついで「文理連携」、「文理反発」と続く。「文理融合」があるとすればその先である。この順番を無視して一足飛びに「文理融合」を目指しても、うまくいくはずがない。

「理」からは、「文」は数学的に厳密な思考ができずに曖昧な論理を振りかざしている人たちに見える。一方で「文」からは、「理」は専門だけに閉じて社会的な判断ができない人たちに見える。重要なことは、文と理が互いに尊敬し合うことなのに、それが難しい。

人はそれぞれ違うのに、なぜ文と理に分けるのか。美系(美術系)もあれば体系(体育会系)も。沢山あるから面白い。十人いれば十通り、一億いれば億通り。人の数だけあっていい。