色気 2010.10.31-11.06

猿の社会で、もし「ミス美猿コンテスト」があったら、いったい何を基準にして審査されるのだろうか。おそらく顔ではなくもっと下の方・・・尻だろう。なぜ人は尻ではなくて顔なのか?顔にそれほどまでにこだわるのか?

ヒトは衣服を着た動物である。残念ながら、(最近はちょっと違うけれど)顔以外は衣服に隠れて見えない。顔は、プラカードのように一番見やすいところにおかれた「裸」の部分である。そこにすべての情報が集中した。色気も含めて。

ヒトはなぜ顔に色気があるのか?それはヒトの顔から毛がなくなって、皮膚も柔らかくなって、そこに表情が生まれたことと関係している。ヒトは表情によって相手への好意を示す。逆に表情を見ることによって、相手が自分に関心があるかどうかを判断する。ときどき間違えるけれども。

僕の歳のせいなのだろうか。最近、女性の色気が変わってきたように見える。いま女性は、顔のメイクも含めて自分を着飾るときに、ほとんど男性は意識していない。むしろ同じ女性の視線を気にしている。男性は、もはや蚊帳の外の存在になっている。

いまの若い女性には信じられないことだろうけれども、胸毛が男性の色気の象徴だったことがあった。わざとシャツの前をはだけて胸毛をみせていた。いま、そのようなことをしたら女性は逃げていく。男の肌は、須くすべすべでなければならない。

かなり前のことである。友人の「日本の女将」という写真展を見にいったときに、僕がもっとも色気を感じたのは、70代の女将の後ろ姿だった。その背筋にしびれた。凛としていた。若い女将には真似のできない年季の入った色気がそこにあった。

「空即是色」何もない空にも色気がある。世の中のすべてに色気がある。色気は受け取る側からは、感受性と想像力の世界である。色気を感じなくなったら、そこで人生は事実上終わる。