忙しさ 2010.11.07-11.13

「忙」という字は、心を亡くすと書く。忙しいときは自己中心的になる。思いやりも忘れてしまう。そういえば「忘」という字も心を亡くすと書く

忙しいときは、心の糸が張りつめている。余裕がなくなっている。遊びもなくなっている。いつ糸が切れてもおかしくない状況に自分自身を追いつめている。その張りつめた糸は自分だけでなく、むしろ周りの人を傷つける。

「忙しさの感覚」は、主観的である。僕は、50代よりも30代の時の方が、少なくとも気持ちの上では忙しかった。若い人に「君は僕よりも忙しくないはずだから・・・」とは、絶対に言ってはいけない。いま、若い人たちはみな忙しいのだから。

「忙しくなくなったらやろう」「時間に余裕ができたらやろう」では、何も始めることができない。やりたいことが生まれたら、まずは、それを最優先にして始めることが大切である。それが本当にやりたいことであれば、時間は自然にできる。

「忙しさ」は、人間としてすべきことの優先順位をおかしくする。忙しいときは、目先のことの優先順位だけが高くなる。逆に本当に大切なことを後回しにしてしまう。人生の優先順位も狂わせる。

「忙しさ」にもいいことがある。忙しいときは脳が活動している。脳が活動しているときは、豊富にアイデアが生まれる。かつて学生のとき、期末試験の期間は他にやりたいことばかりだった。でも試験が終わると、身体とともに脳も休止して、結局何もやらなかった。

人生において必ず忙しいときはある。毎日がそうかもしれない。でもそれは心を亡くすことであってはならない。そうなったら敗北である。むしろ「忙しさ」をも楽しんで、可愛がる。それを創造へ向けて積極的に活用する。難しいけれども、それが大切なのだろう。