思考と論理 2010.11.21-11.28

科学では、論理によって結果の正しさを説得する。一方で、自分では当然のことのようにわかっていても、それを相手に伝えられないこともある。名画や名曲のすばらしさを、それを見たり聞いたりしたことがない人に、口だけで説明することが難しいように。

ある数学者に質問したことがある。「定理の発見は、結果が先ですか?それとも証明が先ですか?」。その数学者はこう答えた。「結果が先です。それは数学者にとっては証明しなくてもわかっている。証明は自分自身の再確認のためとわからない人を説得するためにするのです」

文系は、文章によって思考する。理系は、数式あるいはアルゴリズムによって思考する。美術系は、スケッチによって思考する。僕は、このうちどれだろう。スケッチはできないけれど、イメージで思考することが多い。その意味では美術系に近いのかもしれない。

思考には、少なくとも二つの要素がある。シナリオとマップ。前者は時系列的な思考であり、後者は空間的な思考である。この二つは別のように見えるけれども、仮に「シナリオはマップを一筆書きの形で構造化すること」と考えれば、密接に関係していることがわかる。

イメージによって直観し、論理によって構造化して、言語によって人に伝えるとともに自分自身へフィードバックする。思考にはそれぞれの役割がある。さらには感情も思考に影響する。そして、一番重要なことは、ここに意志がどう関わるかである。

ネットワークは、ツイッターも含めて個人の思考とどう関わるのか。いまや知の活動にネットワークは欠かせない。一方で、僕は自分の考えをまとめるときは、あえてネットワークを遮断する。ソファでリラックスしながら、スケッチブックに自分の脳内イメージと意志を外化する。

思考にも「品格」がある。僕は学生に研究の品格をいう。例えば論文にも品格がある。わかる学生は、指摘すればすぐ納得する。わからない学生は、論理的な説明を求めてくる。でも僕には言葉でそれを説明できない。説明できないことにも、大切なことがある。