つぶやきについて 2010.12.26-12.31

つぶやきを始めてから数ヶ月。ふと思う。僕は生まれてからずっと脳の中でつぶやいていたのではないかと。それはこれまではすぐに消えていった。外化させることにより、すぐには消さないしくみ。それがツイッターなのだろう。

気づいている人は少ないかもしれないけれども、僕は日曜日にその週のテーマを決めてつぶやいている。そのつぶやきも一日一回に制限している。制限には勇気がいる。一つつぶやくと、次から次へと新たなつぶやきが生まれる。ほとんどがボツになるけれども、それはそれで意味を持つ。

なぜ、つぶやきを一日一回に制限するのか。すべてつぶやいてしまったら、それは僕にとって単なる放出あるいは消費になってしまうからだ。制限することによって、自分のなかでそれが昇華される。昇華されたものは、自分に残る。

つぶやきを一日一回に制限すると、つぶやきから自分を解放することができる。僕はつぶやきに自分を占領されたくない。縛られたくない。つぶやいてしまえば、後は僕の時間だ。パソコンやネットに向かわなくてもいい。

ツイッターでのつぶやきで、自分に言い聞かせていることがある。時事問題はすぐには扱わない。日常生活も原則としてつぶやかない。役に立つ情報は発信しない。それはツイッターではないと言われそうだけれども、どうか自分勝手なつぶやきを許してほしい。

僕のつぶやきの中に、もし人生訓のようなものがあっても、それは必ずしも自分で実行しているわけではない。むしろ実行できないから、自分に言い聞かせるという意味でつぶやく。そのようなつぶやきは何度も無限に繰り返される。それにつきあってくれた一人一人に感謝!よいお年を!