人材育成 2011.02.20-02.26

僕は人材育成という言葉が好きになれない。人材には人を生産材のように扱う匂いがある。大学も含めて教育機関の使命は、未来世代の可能性を発掘して育てることであって、生産材の提供ではない。

官庁や学会の委員会でたびたび人材育成がテーマとなる。そのほとんどは経済界からの上から目線で、中高生も含めた下から目線はほとんどない。そこで求められているのは経済界が欲しい人材であり、中高生が将来なりたい未来像ではない。

中高校生や大学生はまだ何もわかっていないから、教育において彼ら彼女らの目線は必要ないとする考え方がある。一方で、若い人たちは常に直感的に未来を先取りしているとする見方もある。それぞれ一理あるが、僕自身は後者の立場から若い人たちを信じていきたい。

大学は、産業界が求める人材をそのまま提供する場ではない。むしろ、若い人たちが生き生きと活躍できるように、未来社会がこうあって欲しいという願いを込めて、その主役を育てて送り出すところだ。卒業生は社会に対する大学からのメッセージである。

いま子どもたちの学力低下が問題となっている。その本質は学力低下ではなく、学習に対する意欲低下である。受験だけが目的になっては、学ぶことは面白くない。将来に対する夢がなければ、当たり前のことだけれども学習意欲は沸かない。

いま日本社会は夢を失っている。教育組織もそうだ。上からの締め付けもあって、競争と評価を旗印に、生き残ることだけに全力をあげているように見える。自らの組織の未来ではなく、社会の未来を見据えなければ、人を育てる教育組織とは言えない。

大学の教員は最近の学生の風潮を嘆く。その気持ちはよくわかるけれども、若者は時代の鏡でもある。大人の社会が夢を失えば、若者も夢を失う。刹那的に生きるようになる。せめて人を育てる教育の現場は、未来への夢を忘れずに、それを学生に伝えて欲しいと願う。