命 2011.03.20-03.26

テレビで、新聞で、震災で亡くなった方の名前のリストが報道される。みな存じ上げない方ばかりだけれども、その一人一人の名前を復唱してみる。そしてご冥福を祈る。

昔、テレビの連ドラで「生きてるだけで儲けもの」という台詞があった。9日ぶりの救出のニュース。まだいるはずだ。安否不明の方々に、生きているだけでいい、どこかで無事でいてほしい。心の中でそう呼びかける。

今回の震災で亡くなる方が、1万人を大きく超えると言われている。でも、あえて1万+1人にならないことを祈る。たった1人の違いかもしれないけれど、もしその1人が大切な人だったら、その命は他の1万人よりも重い。

この歳になると、自分が死ぬことよりも、年下の身近な人が亡くなることがつらくなる。原発が危機のときの我が家の会話。「逃げる時は、最初ではなく最後にしたいね」「そうね。私たちは十分長く生きたのだから。」いざとなったらわからないけれども、少なくともその気でいたい。

生物学的に生殖のメカニズムを考えると、他ならぬ自分がこの世に生まれる確率は、限りなくゼロに近い。それが、母の胎内から生まれた途端に、存在が無限大になる。確率では扱えないものとなる。それが命なのだ。それを実感する日々が続く。

被災地はこれから再建が始まる。悲しい体験を活かして、災害に強い都市、安心して住める町、幸せに生活できる村、それをぜひ実現して、世界が見習うべきモデルとして積極的に発信してほしい。それが亡くなられた方々へのせめてもの供養になる。

被災地で多くの命が失われた一方で、可愛い赤ちゃんが元気に産声をあげていることだろう。その新しい命が、これからの時代へ向けた希望となる。光となる。僕が生まれた昭和20年がそうであったように。