コミュニケーション 2011.04.10-04.16

すでに40年以上も研究者としてコミュニケーション技術を専門にしていながら、コミュニケーションとは何か、まだ何もわかっていない。これは解決されることのない永遠の課題として、いまも自分に残されている。

コミュニケーション技術を通信技術と呼ぶとき、その端末は電話機や携帯などの通信機器になる。それを相手と確実につないで正確に情報を伝えることが目的となる。その大切さをいま私たちは実感している。でもコミュニケーションはそれだけではない。

コミュニケーション技術の目的が、コミュニケーションのギャップを埋めることだとすれば、ギャップは距離だけではない。言語のギャップ、視聴覚障碍者におけるギャップ、さらには文化のギャップもある。コミュニケーション技術者は、もっと人間について学ばなければならない。

ネットも進化している。Googleはネットで検索できる情報のすべてをコンテンツとした。しかし、いまやネットのコンテンツは情報ではない。人そのものがコンテンツになった。SNSしかり、ツイッターしかり。そこで求められているものは人と人のつながりである。

人のコミュニケーションは、情報のやりとりではない。互いにつながっていることを意識することだ。携帯は話さなくても手にもっているだけで安心する。それだけでコミュニケーションしている。いま被災地も同様だ。まずはつながっていることが大切なのだ。

ネットは人をつなぐけれども、それにはまってしまう人もいる。中毒といっては失礼かもしれないけれども、なぜそうなるのか。ネットがそうさせているのか。それとも時代がそうさせているのか。

現代人は寂しくなった。現代人はメディアを「寂しさを紛らわす道具」として使っているようにも見える。かなり前にアエラムック「コミュニケーション学がわかる」にこう書いたことがある。もしそうだとすれば、なぜ寂しいのか。それが気になる。