ヨーロッパ中世の旅 2011.05.29-06.04

※いまイタリア中部の旅にでています。旅で感じたことを、まとめてつぶやきます。

いま近代が終焉を迎えつつある。近代の次にはどのような時代が来るのであろうか。逆に近代の前の中世はいかなる時代だったのか。今回のイタリア中部の旅の目的の一つは、実際に中世の都市を訪れて、その繁栄と衰退の歴史を探ることであった。

グッビオ、アッシジ、ペルージャ、サン・ジミニャーノ・・・。今回訪れた中世都市には、12世紀、13世紀の中世の街並みがそのまま残る。世界遺産となっている都市も多いが、街はいまも生活の場、商業の場として現役である。中世の文化の素晴らしさを改めて実感する。

中世の街は大聖堂(ドゥオーモ)なしには語れない。まさにそれは街の中心にあり、人々の心の拠り所であった。例えば12世紀の終わりに聖フランチェスコが生まれたアッシジは、いまも聖地として信者が集まる。ヨーロッパ中世美術も教会壁画として発展する。

イタリアのそれぞれの町は自治都市として栄えた。切手でしか知らなかった人口数万人の小さなサンマリノ共和国。山の上の城塞を中心に、4世紀に建国された世界最古の共和国が独立国として今も続く。今でも自分たちで国を持とうとする、その意気やよし。観光地化している現状には目をつぶろう。

オルチャ渓谷に中世の美しい田園風景がそのままパノラマとして広がる。ワインの産地としても知られる。このような自然に囲まれて一生を暮らせたらと、ふと思う。中世の人たちはそれなりに幸せだったのかもしれない。

12世紀から14世紀にかけて、イタリア半島南北の交通の要として栄えた町としてシエナがある。イタリアンゴシックのドゥオーモ内部の絢爛さは当時の栄華を偲ばせる。しかし、ペストの流行で人口が7万から2万に減って壊滅的に衰退していく。歴史の表舞台は隣のフィレンツェに移り、ルネッサンスを迎える。

中世には暗黒の時代のイメージがある。14世紀の飢饉、戦争、ペスト。しかし、12世紀と13世紀には、経済のめざましい発展があった。実際に中世の都市を訪れるとそれがよくわかる。しかしその繁栄は14世紀に終わる。経済発展はヨーロッパ大陸を喰い潰して生態系を崩してしまったからだ。