ルネッサンス 2011.05.05-06.11

15世紀になって、イタリアはルネッサンスを迎えた。文化が花開いた時期であった。トスカーナ地方を旅すると、イタリアルネッサンスで花開いた文化は、この地域の自然と無関係でないことがよくわかる。文化は美術館の内部で鑑賞してもわからない。

アレッツォ、サンセポルクロ、モンテルキを訪ねる。ルネッサンス初期の画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品は地方都市に多い。そのほとんどがフレスコ画であるため、日本での知名度は低い。数学の素養を生かした遠近法や光の描写は先駆的であり、彼の作品は日本でもっと評価されていい。

フィレンツェは、街全体がルネッサンスの美術館である。たった数日の滞在では、とてもその本質には迫れない。それを前提にあえて言えば、驚愕するのはルネッサンスの巨匠たちのエネルギーである。そして、それを生み出したルネッサンスという時代のエネルギーである。

ウフィツィ美術館。今回が初めてではないけれど、その素晴らしさに改めて圧倒される。画集で何度も見ている作品も、このフィレツェの土地で本物を鑑賞すると感動がまったく違う。それはどこから来るのだろう。超臨場感技術の研究者としてはそこが気になる。

フィレンツェの近郊にレオナルド・ダ・ヴィンチが生まれたヴィンチ村がある。そこの博物館には、レオナルドが考案したさまざまな機械の模型がある。レオナルドの技術者魂から生まれた素晴らしいアイデアに感銘を受ける。そして、そのすべてが実用化しなかったことに感動する。

ルネッサンスは美術だけではない。その理想を具現化する都市も建設された。フェデリコ公のもとに建設されたウルビーノは15世紀文化の中心になった。ビエンツァは、ローマ教皇ピウス2世の命によって15世紀半ば過ぎにルネッサンスの理想都市として建設された。それが今に残る。

芸術家は、時代の変化を直観する。旧い時代の終焉と新たな時代の到来を予感する。ルネッサンスはまさに、中世の終焉と近代の到来の予感であった。その近代という時代の終焉を迎えて、いま芸術家たちは何を直観して予感しているのであろうか。