旬 2011.06.12-06.18

文化には旬がある。500年前のイタリアルネサンスは、まさに旬であった。いまの科学技術も500年後には、いまの時代が旬であったと言われるかもしれない。それは果たして、歴史の審判に耐える文化の旬になっているだろうか。人類の負の遺産になっていないだろうか。

レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロは幸運だった。イタリアルネサンスという文化の旬が花開いた時代に生まれたからだ。他の時代に生まれていたら、名を残すことはなかった。イタリアルネッサンスも幸運だった。たまたまその時代に3人がいたからだ。旬とはそういうものなのだ。

技術にも旬がある。19世紀前半の鉄道技術、20世紀前半の航空技術、後半の宇宙技術。そしていま情報通信技術が旬である。この旬の時代に生まれた僕は幸せ者だった。自分で何ができたかは別として、この旬を次の世代へ向けてどうつなげていくかが、いまの僕の課題となっている。

国にも旬がある。それは地球を東から西へ回るとの仮説がある。エジプト、ギリシャ、ローマを経て、イタリア、大航海時代のヨーロッパ(スペイン、ポルトガル、オランダ)、フランス、イギリス、そしていまアメリカが旬である。次は日本を通り越して中国とインドの時代になるのだろうか。

日本の旬はいつだったのか。戦後の経済成長を経て“Japan as No.1”、日本がアメリカを追い越すのではないかと思われた時期があった。バブルの絶頂期がそうであった。そのバブルが日本の旬で、それはもう二度と来ないのか。だとすれば、余りにも寂しい。

人にも、それぞれの人生において旬の時期がある。その旬を大切にして、精一杯生きることができた人は幸せである。その旬は若いときに来るときもあれば、きんさんぎんさんのように老後に来ることもある。まだ自分の旬が来ないと焦ることはない。

国の旬も、人の旬も、文明と同じく栄枯盛衰がある。旬は必ず過ぎ去る。むしろ旬でないときのほうが長い。重要なことは、その旬でないときをどう生きるかである。それによって国の格が決まる。人の格が決まる。