子どもの顔 2011.07.10-07.16

乳幼児(赤ちゃん)の顔は可愛い。なぜか。それは赤ちゃんが生き残るための必死の戦略なのだ。可愛くなければ愛されない。保護されない。保護されなければ死ぬしかない。

乳幼児が成長して、少年・少女期(子ども)になると、親から見て急に憎らしくなる。いい顔でなくなる。「この間まであんなにいい子だったのに・・・」。いつまでも子どもに可愛い顔を要求する親はなげく。

乳幼児のときは、親はひたすら可愛がっていればよかった。コミュニケーションが大切だった。それが子どもになると、親はむしろ距離をとることが要求される。コミュニケーションしない方がいいこともある。子離れしていない親はそれに戸惑う。

子どもにいい顔を要求してはいけない。子どもの顔は環境が決める。いい環境のもとで子どもはいい顔になる。子どもがいい顔をできるかどうかは、子どもではなく親も含めた大人の責任である。

子どもには、もともと知的好奇心がある。自ら創造する喜びがある。遊びたいという気持ちがある。それが充たされているとき、子どもはいい顔になる。一方で、親や先生からすべて押しつけられると、いい顔ができなくなる。

あるとき学校の先生から相談を受けた。どうすれば子どもをいい顔にできますか。答えは簡単である。まず先生がいい顔になることである。そうすれば自然に子どもはいい顔になる。家庭でも同じ。親が悪い顔をしていると、それがそのまま子どもに伝わる。

民族紛争が絶えない。難民キャンプでの子どもたちの顔が、テレビのニュースで大写しになる。無邪気だけれども、その何かを訴えているような目が気になる。この子たちがいい顔になれる時代が、一日も早く来ることを切に祈る。