「この非常時に文化は贅沢だ」と言われる。本当にそうなのだろうか。むしろ、世の中が厳しくて、そこに生きることが辛いとき、人は文化を必要としてきたのではないだろうか。苦境を生きる術(すべ)として、文化を生みだしてきたのではないだろうか。
文化やスポーツは心のエネルギーである。女子サッカー世界一に日本中が歓喜する。それだけでない。被災地での小さな音楽会で、子どもたちがお年寄りのために歌う。これも文化だ。それによって笑顔が生まれれば、それは心のエネルギーとなる。
文化は非日常性を演出する。それが癒しになる。例えば村の祭りは、農作業を日常とする人たちの非日常的なハレの時間である。今回の震災でも、避難所における演奏会や落語会。そのような非日常的な時間が、しばしの心の癒しになったと聞く。
文化は智慧である。民族の智慧がそこにある。土地の智慧がそこに文化として伝わっている。文化は過去と現在と未来をつなぐ。その意味では文化はコミュニケーションである。文化を無視して先人の智慧を大切にしないところには未来はない。
文化は人の心を繋ぐ。文化はその土地の人と人の繋がりのなかで育まれる。その文化を大切にすることが、その土地さらには地域の強さに結びつく。それがこれから予想されるさまざまな自然災害への最強の備えになる。
文化は土地に固有である。それがグローバル化の潮流のなかで忘れ去られてきた。「文化とグローバル化は反対語である」という言葉を聞いて、その通りだと思ったことがある。グローバル化が世界を均質化することであれば、いま文化は危機的な状況にある。
文化はサバイバルであり、人類の生き残り戦略である。人は生存が厳しいときに文化を残す。せめて文化の遺伝子だけは残そうとする。物質的な文明が終焉しても、人が生きた証しとしての文化は遺産として残る。