暴動と怒り 2011.08.21-08.27

少し前のことだけれども、イギリスの各地で暴動が起きた。テレビでは、商店街での略奪の衝撃的な映像が流された。イギリスのような先進国で、なぜこのような暴動が起こるのだろう。なぜ日本では起こらないのだろう。

原発事故で、スーパーの飲用水のペットボトルが棚から消えたことがあった。そのニュースが外国で流れたときに、外国人は窓ガラスが破られていないことを不思議がった。暴動で襲われたと思ったのだ。日本人がきちんと列に並んで購入したと聞いて、こう叫んだそうだ。アンビリーバブル!

今回の震災で、目立った暴動は起きていない。みな我慢強く暮らしている。ある外国人は、それを日本人の美徳であると評価する。一方で、別の外国人は、日本人の無気力さ、エネルギーのなさだと嘆く。そのどちらなのか?

ある外国人の言葉。外国ではよく暴動が起こる。それは政治を良くするために必要なことなのだ。日本では暴動が起こらないから、いつまでも政治がよくならない・・・。この暴動肯定論に、正直言って僕はついていけないけれど、そのような考え方も世界にはある。

日本人は、もっと怒るべきだ。年配の知識人にそのように言う人が多い。一方で、若い人たちはあまり怒らない。怒るよりもいま必要なことは行動だと言う。淡々と行動する。それをまた年配者は、怒る元気もないのかと怒る。

怒ることは、ストレスの発散なのか。それともそれによりますますストレスが溜まるのか。世の中にはストレスそのものをエネルギーにしている人もいる。怒りによってストレスを溜めて、怒りによって発散する。それが行動エネルギーになっている。

僕は怒ることが得意ではない。怒るときは多かれ少なかれ感情的になる。冷静に怒ったつもりでも、必ず後悔が残る。怒っている自分が好きになれない。本当はもっと怒らなければいけないのだろうけれども、まだまだ修行が足りない。