電車の中の視線 2011.09.11-09.17

どうでもいいことだけれども、電車の中で、男と女の間でどのような視線が多いか、いい加減に調べたことがある。男から女へ、女から男へ、男から男へ、女から女へ、果たしてどの組み合わせの視線が多いか。

電車の中の視線は、「女から女への視線」が多いように僕には見える。特に、それなりの美人がそれなりの美人を見るときの視線は強烈である。視線がまず相手の全身を下から上へ舐めまわして、即座に勝った負けたの表情をする。厳しい世界を彼女たちは生きている。

電車の中の視線で、女から女への視線についで多いのは、「男から女への視線」である。その意味では、女はいつも見られる存在なのかもしれない。でもそれは大切である。見られている女性は、その意識があるからいつも美しい。

電車の中の視線で、女から女へ、男から女への次に多いのは、「女から男への視線」である。でもそれはかなり少なくなる。もともと関心がないのか。それとも見るだけの価値のある男性が、ほとんどいないからなのか。

電車の中の視線で、「男から男への視線」はほとんどない。あってもそれは漠然として眺めているだけで、視線といえるようなものではない。僕の経験でも確かにそうだ。電車で前に座っていた男のことなど、電車を降りたら、いや降りなくてもまったく覚えていない。

電車の中の視線で、実は圧倒的に多いのは「携帯への視線」である。携帯を通じて、バーチャルな相手に心の視線が向いている。電車の中で隣りにいる人は、もはや同じ地球人ではない。それぞれ異なる遠い宇宙と交信しているエイリアンの集団となっている。

電車の中で、女の視線は女に向かい、男は蚊帳の外にある。さらには、視線は遠くのバーチャルな相手に向かう。これは人の視線として自然なのか。それとも現代人がおかしくなったのか。もしかしたら日本だけの社会現象なのか。興味は尽きない。

※今週のテーマについて追記をお許しください。「女から女への視線」が多いように見えるのは、そもそも僕の観察対象(つまり僕の視線)が女性に偏っているからではないか、とのご指摘を受けました。その通りです。

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