電車の中は、狭い空間だけれども、そこは社会の縮図である。人間観察もできる。そこは刺激にみちている。そこからさまざまなことを学ぶことができる。電車の中は飽きることがない。
電車の中で、その時の景気を知ることができる。社会が不況になると、中吊り広告は、その電車の鉄道会社関連のものが多くなる。おそらく有料広告が減って、それは穴埋めのための広告なのだろう。
電車の中で、中吊り広告を見ると社会がよくわかる。特に週刊誌の中吊り広告は、その豊富な見出しを見るだけで、何となく社会がわかったような気がする。広告にこんなに情報量が多いと、週刊誌そのものが売れないのではと、いらぬ心配をしてしまう。
電車の中で、座っている人は何をしているか。ついこの間までは夕刊フジやゲンダイなどの新聞や週刊誌を読んでいる人が多かった。でもいまは激減している。逆に、携帯メールの読み書き、ゲームが増えている。スマホ、タブレット端末もある。電車の中は、先端メディアの見本市である。
電車の中で、小説を読んでいるのは女性が多い。一方で、一時ほどではないけれども、漫画雑誌を食い入るように見ているのは男性に限られる。いまの時代、女性の方が教養レベルが高いように見えるのは、僕だけだろうか。
電車の中で、日本人はよく眠る。外国ではそのようなことはない。それは日本の治安がいいからなのか。それとも日本人が働きすぎで、疲れているからなのか。日本人と外国人は体のつくりからして、そもそも違うのか。
電車の中で、イヤフォンで音楽を聴いている人も多い。でも僕はそれはしない。イヤフォンをつけて、一人だけの世界に閉じこもっていては、もったいないと思うからだ。果たしてどのような発見があるだろうか。好奇心を逞しくして、今日も電車に乗る。