情報の時代だからこそ・・ 2011.10.23-10.29

ネットには情報が溢れている。情報収集のためのセミナーや講習会もある。しかし、情報はそれ自体が目的にはならない。情報は考えて判断するためにある。考えないで受け入れた情報は、逆に判断を誤らせる。情報の時代だからこそ考えることを大切にしたい。

僕は問題提起型の講演あるいは講義をときどきする。その後の質疑応答で、質問に対してどこまで答えるべきか悩む。僕の講演・講義を聴いた人それぞれに異なる答えがあるはずだ。自分自身で考え、それを発見したときに、それがその人の答えになる。

学会のデモセッション等で展示発表をすると、日本では「何に役に立つのか教えてほしい」という質問が多い。これに対して、外国で発表すると「これを見て面白いことを考えた。特許はどうなっているか」との質問がくる。この違いは何なのだろうか。

市場調査や海外の動向調査は、それに頼りすぎると自分で考えなくなる。研究や製品開発で大切なことは自らの意志と情熱である。上司はもっぱら客観的データを要求する。それを乗り越えなければ日本にスティーブ・ジョブズは生まれない。

セミナー等の講演で、パワーポイントをそのままコピーして配布することが要求される。企業からの聴講者に多い。上司への報告に便利だからだ。でも僕はそれを敢えてしない。配布すると講演は聴くだけになる。自分の力でまとめることをしなくなる。自分の頭で考えなくなる。

大学の講義は、普通はすでに確立している学説を三人称で紹介する。でもそれでは単なる知識の伝達となって、学生は考えなくなる。僕はときどき一人称講義をする。自分はこう思うということしか話さない。「眉につばをつけながら聞け」「講義を信用するな」それが講義の合言葉となっている。

書店にいくと仕事や人生の指南書が溢れている。企業の新人研修でも、思考法のトレーニングが大はやりらしい。それはそれで大切だとは思うけれども、単にテクニックを身につけただけでは何も生まれない。考えるということは、それ自体が自らの意志をもった表現行為であることを忘れてはならない。