女らしさ 2011.11.20-11.26

「女らしさ」とは何か。それを問うこと自体が問題であるとする立場もあるけれども、それぞれの生き方として「男らしさ」があるとすれば「女らしさ」もあってもいい。

与謝野鉄幹の歌、「妻をめとらば才たけて、みめ麗しく、情けある」。そこでは、才たけて(才能)、 みめ麗しく(美貌)、情けある(情愛)が、女性の3条件とされている。このどれを重視するかは、時代とともに変わってきた。

かつての日本では、結婚すると「良妻賢母」、つまり夫に対しては「情けある」こと、子に対しては「才たけて」いることが要求された。 ここには「みめ麗しく」はでてこない。それは男性社会では不都合なことだったのだろうか。

「天は二物を与えず」という言い方がある。「才たけて」と「みめ麗しく」は相容れないという意味でも使われるが、最近はこの二物が与えられた女性が多くなった。これからはもう一つの「情けある」も加えて、三物を兼ね備えた女性の時代になってほしいと願う。

女性が社会で活躍するためには、男性社会を生きなければならない。そこではまずは「才たけて」が要求された。「みめ麗しく」は危険であった 。いまは違う。仕事ができて女性としての魅力がある、そのような女性が増えつつある。それは女性から見て自分の未来の目標になる。

「女らしさ」は、かつては男性が決めた。いまはむしろ女性が決めている。男性はしだいに蚊帳の外になりつつある。それは女性が男性から解放されつつあるという意味ではいいことなのだろう。男性である僕としては、少し寂しいけれども。

女性が考える「女らしさ」は、未来の自分の理想像である。そこには、それぞれの人生に対する考え方が反映されている。人それぞれによって人生が違うとすれば、女らしさの理想像も多様であっていい。いまそのような時代になりつつある。