最近の若手研究者や大学院生は文献を読まなくなったと、ある教授が嘆いていた。確かにWEBで検索して見つからなければ、それで文献なしと結論づける風潮もある。それは論外としても、確かに研究論文の読み方は難しい。やみくもに読めばいいというものではない。
学生から、文献はどのくらい読んだらいいですかとの質問を受ける。その答えは難しい。孫引きを繰り返すと、文献はすぐ数十あるいはそれ以上になる。全部は読めなくとも位置づけだけはしておいたほうがいい。そうしておけば必要なときにすぐ読める。
研究において文献をなぜ読むか。分野によって違う。文系では文献そのものが研究のフィールドになることもある。自然科学系は、知の積み上げが基本であるから、まずは先行研究の調査が基本となる。工学系は創造のアイデアが勝負だから、そのヒント探しが目的になる。
あるとき文系の研究所の集会で、研究者の心がけとして、できるだけ文献は読まないようにしていると発言したら、目を丸くされた。工学系ではアイデアが大切で、文献ばかりに依存するとそれが出なくなるからだ。もちろん同じアイデアが先行研究にないか文献チェックは怠ってはならない。
研究文献は、その行間を読むことが大切である。そこには文献の著者も気づかなかった研究のヒントが隠されている。さらに言えば、それぞれの文献の中ではなく、複数の文献と文献の間を読むようにしたい。そこにはもっと貴重なダイヤの原石が埋もれている。
研究文献には二通りある。閉じた研究と開かれた研究。閉じた研究の文献を読んでも、そこには重箱の隅のカスしか残されていない。開かれた研究の文献は、新たな研究のヒントの宝庫である。そのどちらであるかを見分ける能力が、研究者には必要とされる。
研究テーマ探しは、先行研究や動向の調査も必要だけれども、そればかりを気にしていると、表層的な研究しかできない。むしろ自分が何をやりたいのか、何を面白いと思っているのか、何をメッセージとして発信したいかが大切である。それを忘れてはならない。