「ネットには、人と人の間を険悪にさせようと狙っている悪魔が潜んでいる。」10年近く前に、ある原稿にこのように書いたことがある。ネットでの議論は、些細なことで感情的になりやすい。そこに悪魔はつけこむ。
なぜネットのコミュニケーションは難しいか?口頭での会話は、少しばかり失言があっても、すぐ訂正できる。笑って中和することもできる。ネットでは発言が記録に残るから、挙げ足取りになる。公開の場で恥を搔きたくないから、向きになって反論する。それが次第に悪循環になる。
かつて僕の研究室で学生にこう命じたことがある。「ネットのメーリングリストは単純な事務連絡と、相手をほめること以外に使ってはならない。」公開の場での相手への注意や批判は、それが善意であっても、決していい結果は生まない。
自分にとって不本意なメールには、すぐ返信したくなる。そのようなときは、返信文を書いてもそのまま一晩寝かして、翌朝改めて内容がそれでいいか確認してから送信した方がいい。難しいことだけれども、その心掛けだけは忘れないようにしたい。
ネットの公開の場は、時として蓄積された不満のはけ口になる。人の悪口を言うことによって、互いに慰め合う場にもなる。気持ちはわかるけれども、結局はそれは自分を惨めにして終わる。むしろほめた方がいい。ほめられれば嬉しいし、人間関係もよくなる。互いに成長できる。
代表的なコミュニティ型WebサイトであるFacebookには「いいね!」ボタンがあるけれども、「うざい」ボタンや「きもい」ボタンはない。これらを欲しがる人もいるかもしれないけれども、「いいね!」ボタンだけあるところにFacebookの成功がある。
ネットはいま、人と人の繋がりのメディアとして進化しつつある。ネットは新たな繋がりを生み出すが、危うさもある。そこには天使もいれば、人格までも変えてしまう悪魔も潜んでいる。ネットとどうつきあうか。それはネット社会を生きる一人一人に問いかけられた課題となっている。