偽善 2012.02.19-02.25

被災地でボランティアをしている青年が悩んでいた。自分のしていることが偽善ではないかと。結局は自己満足のためではないかと。そもそも偽善とはどのような行為なのだろう。なぜそれを偽善と言うのだろう。

偽善と善の境界は難しい。神に喜ばれたいから、天国に行きたいから、善いことをする。それは偽善とは言わない。社会的な名声を得たいから善行をする。これは意見が分かれるだろう。僕はいいと思う。その後に悪いことさえしなければ。

偽善には二通りある。一つは善を装って相手を騙し、相手に損害を与える偽善。これは偽善というよりも詐欺に近い。いま一つは気持ちに偽りがあっても、結果的に相手の益になって誰も損害を被らない偽善。 これは許されていい。

僕は偽善はそれ程嫌いではない。それよりも、ほとんど根拠なしに他人がしていることを偽善だと非難する気持ちの方が悲しくなる。それは何もできない自分への非難の裏返しかもしれないからだ。他人への非難は、結局は自分に戻ってくる。

子どもの社会では、善い子ぶっていると嫌われる。善い子がすぐそばにいると、比較されて居づらいからだ。とりあえず排除しておいたほうがいい。大人の社会も同じだ。偽善者というレッテルを貼って、自分と同レベルに落としておいた方が、居心地よく楽をして生きていける。

善だと思ってする行為が、逆に相手を傷つけることもある。それは謙虚に反省した方がいい。一方で、偽善であることを恐れて何もしない。これも反省すべきである。大切なことは、結果として相手のためになっているかであって、自分の気持ちではない。

世の中に完璧な人はいない。すべてが善だけの人もいない。みな善と偽善の間で生きている。一つだけ言えることがある。自分がしていることが偽善ではないかと悩み始めたら、その段階で、それは偽善ではなくなる。一歩先へ踏み出していい。

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