人生、うまくいくときとそうでないときがある。そのようなときに果たして「運」があるかどうか?科学的には確率の錯覚として否定されることが多いけれども、僕はあると信じている。あるとすれば、「運」といい関係になること、それが大切である。
いい運と悪い運は半分ずつある。そのどちらを気にして、どちらをすぐ忘れるかによって、その人の運が決まる。悪い運ばかりを気にしている人は、自分には運がないと思う。本当はいい運もあるのにそれに気づかない。みすみす逃してしまう。
いい運を大切にする人には、感謝の気持ちがある。その感謝の気持ちが、いい運を呼び込む。悪い運を嘆いている人は、それをすべて他人のせいにする。環境のせいにする。感謝でなく恨みの気持ちが、また悪い運を呼び込む。
運は人が運んでくる。でも待っているだけでは誰も運んでこない。みないい運が欲しいから、いい運を貰えそうな人のもとに集まる。運を貰う人ではなく、運を与える人になれば、その周りに人が集まって、いい運を運んでくる。
いい運を運んでくる天使はきまぐれだ。天使にはあまり期待しないほうがいい。宝くじと同じだ。それに当たれば感謝する。大喜びする。当たらなければやっぱりと思う。期待しすぎた自分を少しだけ反省する。そのくらいがいい。
悪い運ばかり運んでくる貧乏神は嫌われる。その貧乏神も、長くつきあっていると、それなりにいいやつかもしれない。貧乏神にも悩みがある。その悩みを共有して励ましてあげれば、貧乏神も改心するかもしれない。とんでもなくいい運をお礼として貰えるかもしれない。
運は追いかけると逃げていく。気にしないで知らんぷりをしていると、近寄ってくる。男女関係のようなものだ。押しては引き、引いては押す。それを楽しむことができれば、運とも仲良くできる。人生も楽しくなる。