学ぶということ 2012.03.04-03.10

日本子ども学会という学会の理事をしているからであろうか。最近、教育関連の講演が増えた。実は母校(中学・高校)の理事でもある。教育の一つの目的は「学び」であるけれども、子どもたちは勉強が嫌いだ。なぜなのだろう。そもそも「学び」とは何なのだろう。

僕は親から勉強しなさいと言われるのが大嫌いだった。「遊んでばかりいないで、勉強しなさい」「いま勉強しようと思っていたところなのに・・・・先に言うんだもの。したくなくなってしまったじゃないか!もうしない!」このやりとりを、子どものときに何度繰り返したことか。

もともとは楽しいことも、人から強制されると楽しくなくなる。いま学校で子どもたちは、どのように学んで(勉強して)いるのか。それがテストでいい点をとるため、あるいは受験戦争に勝つため、親から強制されてのことだとすれば、学びは面白いはずがない。それは本来の学びではない。

いま僕と同世代のシニアは学びの意欲が旺盛である。生涯教育セミナーやカルチャーセンターでも、シニアの受講者の比率が高い。なぜ学ぶのか。それは学ぶことが楽しいからだ。僕は学ぶことそれ自体が、ホモサピエンス(英知人)である人の本能だと思っている。

英語のstudent の語源はラテン語の studeo(ストゥデオー)で、「熱中する、努力する」という意味らしい。そのもともとの意味からは、student は「熱意を持つ者、努力する者」になる。学びの基本は、自ら進んで熱中することであり、本来は創造行為である。

いま学校で、受け身ではなく自ら創造する教育はどの程度あるのか。中学以上では教室ではなく、むしろクラブ活動や文化祭などの生徒の自主的な活動が担っている。教室ではどうしても生徒からは受け身の教育になる。学びを創造行為と結びつけた教育がもっと工夫されていい。

教師を長年してきてつくづく思うことがある。学ぶための一番いい方法は教えることだと。教えるためには学ばなければならない。自分なりに体系化しなければならない。わかりやすく説明しなければならない。教えることにより何がわかっていないか自分で気づく。それは次の学びにつながる。