あれから一年 2012.03.11-03.17

あの大震災から一年がたった。亡くなられた方々へ黙祷。被災地では震災は過去ではなく、まだ現在である。一方で、今回の震災はさまざまなことを教えてくれた。時代に対して警鐘をならしてくれた。それにきちんと応えることが、亡くなられた方々への哀悼となる。

震災から一年たって、まず必要なことは東北の復興である。これは東北が主役になって初めて可能となる。文化や生活はその土地が創るものだ。国や中央ができることはその全面的な支援でしかない。東北にはもともと素晴らしい文化がある。世界に誇る文化がある。

このたびの震災は、絶対安全なるものはこの世に存在しないことを教えてくれた。絶対安全ができると思い、またそれを要求することは、人のおごりでしかない。もちろん限りない安全をめざすことは大切だけれども、危険は必ずある。その危険に対する抵抗力を身につけることが大切である。

未曾有の大津波は、人の自ら感じる力の大切さを教えてくれた。マニュアルに頼らず自分自身で危険を感じることができた人だけが生き残った。現代人は知らず知らずのうちに、生きることに他力本願になって、自ら感じる力を失っていたのかもしれない。

今回の震災は、いざというときに頼りになるのは、人のつながりであることを改めて教えてくれた。戦後の日本は、核家族となって、地域社会のつながりも失われた。個人情報の保護も必要だけれども、これからは人と人のつながりを大切にする社会デザインも必要となる。

原発事故によって科学技術への不信感が生まれている。科学技術の歴史はわずか数百年でしかない。その間の目覚ましい進歩によって現代人は謙虚さを失ってしまったのかもしれない。科学技術には限界がある。一方でその不信感は迷信をはびこらせる。科学技術へのリテラシーが求められる。

今回の一連の出来事は、地球環境とエネルギーの問題も考えさせてくれた。地球温暖化を防ぎつつエネルギーを確保する切り札として原発があった。それに頼れなくなったいま、より問題は深刻化している。モノの豊かさを追求してきた近代という時代の、根本的な見直しが迫られている。