嘘 2012.04.01-04.07

人生、真実しか許されない世界を生きていると息苦しくなる。ときには嘘も楽しい。でもそれは、例えばエイプリルフールの日だけにしておいた方がいい。嘘はやはり、人生や社会を難しくする。

嘘の難しいところは、それがまた別の嘘を呼び込むことだ。初めは気楽な嘘のつもりでいても、嘘は次々と嘘を呼び、次第に深みにはまっていく。戻れなくなる。嘘で身動きできなくなる。だからこわい。

必ず嘘をつく人が、こう言った。「私は嘘つきです」。これは嘘か真実か。逆に、絶対に嘘をつかない人が、こう言った。「私は嘘つきです」。これはどうか。実はこれは仮定が間違っている。必ず嘘をつく、絶対に嘘をつかないということはあり得ない。嘘は、ときどきつくから始末が悪い。

嘘には善意からのものと、悪意からのものがある。後者は論外として、前者が許されるかは難しい。善意の嘘もいい結果を生むとは限らない。嘘自体がだまされたと思われてしまうからだ。そもそも何が善意かもわからない。善意のつもりで、どこかで自分の利益を考えているかもしれないからだ。

嘘をついていると、誰も信じてくれなくなる。それ以上に、嘘つきは自分自身が誰も信用できなくなる。嘘そのものよりも、嘘をつくことがその人を変えてしまう。そのほうがこわい。誰も信用できなくなったら、その人は生きていけない。

嘘は道徳的に悪いとか、気むずかしいことは言わなくても、単に人生を気楽に生きたいと思うならば、嘘はつかないほうがいい。昔から言われていることだけれども、頭が良くなければ嘘はつけない。きちんとした嘘をつくには、それなりの大変な努力と苦労を必要とする。

本当に気楽な駆け引きあるいは遊びだと割り切れるならば、嘘もそれなりにいいかも知れない。恋人どうしの可愛い嘘も微笑ましい。相手が自分のためについているとわかっている嘘、それは嘘ではなく愛になる。一概に嘘は悪いとは言えない。嘘は奥が深い。