衣食足りて 2012.04.15-04.21

戦後、昭和から平成の時代を経て、日本は豊かになった。少なくとも多くの日本人は、衣食が足りるようになった。衣食足りて、日本人は何を知ったのであろうか。何を忘れたのであろうか。

衣食足りて、感謝の気持ちを忘れてはいないだろうか。いま私たちの生活の衣食が足りているのは、戦後日本を頑張ってきた先人たちの大変な努力があったからだ。本来感謝すべきことなのだ。衣食が足りると、それは当たり前のように思っていないか。感謝を忘れていないか。

衣食足りて、得るものよりも、失うものが多くなった。それによって、かえって日本は不安社会となった。かつてはそれほど気にしなかったことを、一つ一つ不安に思うようになった。いまは昔よりもはるかに安全な社会になったと思うけれども、人々の不安は逆に増している。

衣食足りて、人は幸せになるよりも、むしろ新たな不満で自分を不幸に思うようになる。あることが満たされると、後から後から不満が生まれる。不満ばかりで、しかもそれを他人のせいにすると、人はいつになっても幸せになれない。

衣食足りて、孤独に思う人が多くなった。衣食が足りないときは、毎日が必死で、互いに助け合わないと生きていけない。衣食が足りると、その必要がなくなる。人はもともと助け合う存在であることを忘れて、自分だけが大切と思うようになる。衣食が足りた代償として、孤独に生きるようになる。

衣食足りて、それ以上衣食のために自分中心の生き方をしても、もはや得られるものはほとんどない。むしろ他人のために尽くした方が、得られるものが多い。もらうよりも与える方が、得られるものが多い。そのことに気づいたときに、人は衣食足りて、本当の幸せになれる。

衣食足りて、礼節を知る。昔からこう言われる。でも衣食が足りれば、自然と礼節を知るわけではない。むしろ衣食足りて礼節を忘れることが多いかもしれない。衣食が足りたときに、本当の礼節とは何かが問われるようになる。