勝つこと負けること 2012.05.20-05.26

勝つこと負けること、人生はこの繰り返しかもしれない。人は勝つことに全力をあげる。命をかける。負ければ悲しいし、何よりも悔しい。でも僕はどちらかと言うとそれに淡泊だったような気がする。負けたら負けたでそれもいいや。そう思うところがあった。

小学校6年生のとき同級生に片想いだけれど好きな子がいた。男子校であった中学校を受験したときこう思った。合格すれば嬉しいけれど、落ちたらその好きな子と一緒に公立の中学に行ける。その方が嬉しいかもしれない。でも残念ながら合格してしまった。片想いはそのまま終わってしまった。

大学受験のとき、試験の翌日に伯父が書いた物理の演習書を書店で購入した。中途半端だった物理を一年かけてじっくり勉強したかったからだ。それを可能としてくれる浪人生活に楽しみもあった。でもそれは叶わなかった。いまに至るまで物理の勉強は中途半端になっている。

学生のときに大学闘争を経験した。その時代を生きた僕には「かっこよく負けること」に憧れがある。それは「かっこ悪く勝つこと」よりもはるかにかっこよい。負けがわかっていても全力を尽くす。それに価値を見いだせた青春を経験できたことに、いま僕は感謝している。

勝つ人がいれば、そこには負ける人もいる。負ければ悲しいし、地獄に落ちた気になる。でもそれで終わっては、文字通り敗残者となってしまう。人はそれでもしぶとく生きる。負けを踏み台にする。「負けるが勝ち」という言葉も生み出した。

勝つことと負けること、そのどちらによって人は成長するのだろうか。僕は負けることだと思う。負けることによって反省する。負けた人の気持ちを理解できる。そして何よりも、負けることによって、人生には他にいろいろな可能性があることを知る。

僕は、敗者復活戦がある社会が好きだ。負けたら終わりでは、人生は気詰まりになる。復活戦があれば安心して負けることができる。負けることを楽しむこともできる。勝っても負けても人生は楽しいことばかりであってほしい。一度しかない人生なのだから。