美人の顔 2012.07.15-07.21

パーティで美人に緊張して声をかける。「はじめまして」。そのようなときに限って相手の反応は「前にお会いしましたよ。私のことを覚えていて下さらなかったのですか」・・・・またやってしまった。でもなぜなのだろう。なぜ、美人の顔を覚えていないのだろう。

美を愛でる感性的な脳と、記憶に残す認知的な脳は、同時には働かないのかもしれない。さらに加えて、美人の顔はじっと直視できない。視線があっただけでどきどきしてしまう。思わず視線をそらしてしまう。顔は見ずにひたすら心の中だけで理想化されていく。結果として美人の顔は覚えられない。

源氏物語では、不美人の典型とされる末摘花の顔の描写は具体的である。顔は青白くて、鼻は象のように長く、その先は紅で染めたように赤い。これに対して、美人の顔は抽象的に描写される。美しい花に見立てて、すべて比喩で記されている。

似顔絵を描くコツは、相手の魅力的な特徴を強調することである。整った顔は描きにくい。例えば、整いすぎている平均顔は似顔絵にならない。これといった特徴がないからだ。特徴がない顔は覚えにくい。美しくても個性がない顔は、すぐ忘れられてしまう。

いまの日本で若い女性が好む美人顔、目が大きくて,丸顔、そして小顔、色白、何のことはない。これは赤ちゃんの顔である。いまそのような未成熟の可愛い顔ばかりが、街に氾濫している。みな同じように見えてしまう。

あるとき気づいた。素敵な女性を相手にして僕が魅力的だと思う顔の特徴は、本人はコンプレックスに思っていることを。ほめたつもりが逆効果になる。僕はその人だけにある魅力が好きなのに、本人は、他人と違うところが嫌いらしい。

美人は画一化されてしまったらつまらない。その人だけにしかない美しさがいい。僕はそれぞれの人に、その人だけの美しさを発見していきたい。それができたら、僕は本当に幸せになる。