縁側 2012.08.19-08.25

昔の日本の家屋には縁側があった。それは廊下のような通路であると同時に、座敷の外側におかれたその空間は、強い日射が直接座敷に入り込まないようにする工夫であった。そこには雨戸があり、雨風を防ぐ役割も果たしていた。いまそれがなくなった。それにより日本が失ったものは多い。

縁側は、家屋にとって外でもなく内でもない中間領域であり、空白の領域とも言われる。そこは外に対して内部が開放された空間であり、外から直接家屋の内部に出入りすることができた。日本の家屋はもともと開放的だった。それがいま、縁側はなくなり、逆に塀ができて、閉鎖空間になった。

縁側は、自然を愛でる場でもあった。縁側の前には庭があり、遠くには借景があった。そこは月見の時は桟敷席となり、夏は浴衣姿で線香花火を楽しむ場でもあった。縁側という場があって、日本人は四季折々の自然に親しむことができた。

縁側は、突然訪ねてくる客をもてなす場であった。縁側では、客は腰を下ろすだけで、履物は脱がない。客もそれを前提に気軽に訪ねることができた。もてなしもお茶と梅干しだけでよかった。縁側は、隣近所とのコミュニケーションの場であった。

縁側の前の庭は、子どもたちの格好の遊び場であった。それは縁側にいるご隠居さんとの交流の場でもあった。良寛様はそこで子どもたちと鞠つきをして遊んだ。縁側は、世代を超えたコミュニケーションの場であった。

縁側で、ご隠居さんがたまたま通りかかった熊さんや八っつあんに講釈を垂れた。熊さんや八っつあんも、わからないことがあるときは、そこでいつでも、ご隠居さんにお伺いをたてることができた。ご隠居さんは知恵袋で、縁側は文化の伝承の場であった。

縁側は、自然を愛でる場、コミュニケーションの場、文化の伝承の場であった。ご隠居さんに代表される老人の居場所でもあった。それが日常に溶け込んでいた。それを日本人は捨ててしまった。縁側に代わる大切な空間を、これからどうデザインしていくのか。それがいま問われている。