真理 2012.09.16-09.22

真理は果たしてあるのか。実は50年前、まだ十代半ばの思春期だった僕にとって、これは最大のテーマだった。よくわからないままに哲学書を読みあさり、教会にも通った。洗礼も受けた。でも、それはいまでも解決しない永遠のテーマとして、僕に残されている。

真理は果たしてあるのか。どの土地にもある宗教は、その問に対する一つの解答だったのだろう。しかし、その解答は宗教によって違う。多様な文化に接した古代ギリシャの賢人は、普遍的に通用する真理を求めた。それが哲学の始まりだった。

真理は果たしてあるのか。近代哲学は、真理を、「万人に共通理解可能な本質」と定義した。こう定義すると、世界にそのような普遍的な本質があるのか、あるとすればなぜなのか。さらにはそのように共通に認識する能力が、そもそも人にあるのかが問題となった。

真理は果たしてあるのか。疑わしいものをすべて取り除くと最後に何が残るのか。よく知られているように、デカルトは「考えている自分」それだけは疑えない存在とした。それを出発点として、確実な方法で導かれるものだけを真理とした。そこから生まれた合理主義は、近代という時代を作った。

真理は果たしてあるのか。科学者は、自然には絶対的な真理があると信じている。そこで重要なことは論理的な整合性であって、それですべての観測事実が説明できれば、とりあえずの真理とする。説明できない現象、例えば光よりも高速の現象が見つかれば、真理の組み替えが必要となる。

真理は果たしてあるのか。宗教は真理を教える。それは信じている人だけが理解できる真理である。しかし、それはその人に対して絶大な意味を持つ。救いを与える。生きる指針を与える。哲学や科学にはその力はない。科学の時代になっても、宗教はなくならない。

真理は果たしてあるのか。この問は考えれば考えるほど、袋小路に陥る危険性がある。袋小路に陥らない一つの方法は、「実は真理はなかったのだ」と結論づけることだ。現代哲学にはその傾向がある。でも僕には、問い続けること自体が大切なことのように思える。僕は問い続けたい。