講義 2012.10.28-11.03

僕はある大学で36年間講義を担当してきた。3年半前に定年で退職した後も、他の大学で講義を続けている。その意味では講義のプロであるはずなのに、どのような講義が理想的なのか、恥ずかしいことだけれども、未だわかっていない。

大学の講義では予めシラバスを学生に示し、その通りに講義することが要求される。でも僕は敢えてシラバス通りにはやらない。講義は生き物であり、学生の反応によって変わっていくのが当然だからだ。シラバス通りに講義しなければならないとしたら、むしろその方がおかしい。

講義では教科書を指定することが多い。しかし教科書を使う講義は難しいとつくづく思う。どうしても教科書に頼ってしまうからだ。教師が教科書を執筆すると、その講義はつまらなくなると言われる。教科書を執筆する直前の方が講義に熱意があり、内容が充実していることが多い。

僕は基礎講義では黒板への板書きを重視した。ノート提出を求めることも多かったから、学生はひたすら板書きをノートに筆記する。講義は聴くだけではない。手を動かすことも、講義を理解する上で重要だと考えたからだ。板書きが講義のスピードとして丁度いいという理由もあった。

わかりやすい講義がいいとは必ずしも言えない。教室でわかったつもりになって勉強しないと、試験のとき何もわかっていないことに気づいて愕然とする。親切すぎる講義もよくない。本来学生がノートに筆記すべきことは、資料として配らないほうがいい。少し学生に評判が悪いくらいがいい。

僕の学生時代に、雑談だけの講義があった。試験を受けるときは、教科書を必死に独学で勉強した。実はその講義が一番心に残っている。その後の人生にも役に立ったような気がする。いま、そのような講義は大学で許されているのだろうか。

最近、学生からの講義評価が当たり前になったと聞く。学生の意見を講義改善に生かすことは大切だけれども、それが講義を画一化し、さらには学生に媚びることになっては本末転倒である。教師はもっと自分の講義に誇りをもっていい。その誇りが学生に伝われば、それはいい講義になる。