研究者には学会という組織がある。研究者は学会にデビューすることによってその卵となる。学会は研究者にとって当たり前の組織であるけれども、それがそもそもどのような組織であるか、どうあるべきかについては意外と共有されていない。
19世紀に科学が自然哲学から独立して、科学者なる職業が生まれた。その同業者団体として学会ができた。そこでは研究の情報交換を行うとともに、ジャーナルを発行して学術的な知の共有と継承を図った。その品質を確保する仕組みとしてレフリー制度ができた。いまの学会の原型はそこにある。
いまや学会は、研究者にとって学術の交流の場というよりも自分の地位獲得の手段となっている感がある。インパクトファクターがつくジャーナルに採録されれば、それは研究業績となって学位につながる。さらには自分の将来に有利となる。学会もそれへ向けて変容する。
国際会議での発表が、ジャーナルとの二重投稿ではないかと新聞で騒がれたことがあった。それを恐れて学会で口頭発表するときは、肝心なことは話さない風潮があるとも聞く。もし専門の研究者が集う会議で本質的な議論ができなくなったら、学術は確実におかしくなる。
学会は、そもそもは同好会であった。そこでは自由に情報の交換をおこない、研究の面白さを語り、夢を共有した。いまの学会はそのような場になっているだろうか。研究もまた熾烈な競争の時代にあって、それは古き良き時代のノスタルジアでしかないのか。
学会は、単なる会員の互助会ではなくて、もっと外へ目を向けるべき時代が来ている。内向きの会員サービスも重要だけれども、いまや専門研究者の集団である学会が社会へ向けてどのようなメッセージ、さらにはビジョンを発信するかが問われている。
ニコニコ学会βという試みがある。そこでの発表は演出され、その模様はネットで中継されて数万人が視聴する。これがこれまでの学会に代わるものだと主催者は思っていないし、課題も多いけれども、そこには確かに問題提起がある。改めて学会について考えさせてくれる何かがある。