視界 2013.02.03-02.09

競走馬は、遮眼革と呼ばれる馬具で目を覆う。速く走るために視界を狭めて、前方だけを見るようにするためだ。いまや競争の時代である。競争に勝つことだけに集中して視界を狭める。他の大切なことが見えなくなる。現代人はもしかしたら競走馬のようになっていないだろうか。

僕は運転はしないけれども、これまでの人生は、誇張して言えばF1のレースカーに乗っていたのかもしれない。それが昨年春に病気をして、軽自動車になった。生活が軽自動車になって、急ぐことがなくなった。気持ちに余裕ができた。それによって人生の視界も少し広がった気がする。

車はスピードを出すと視界が狭まる。周囲が見えなくなる。そのことは人の視覚の常識として、運転の教習所でも習う。人生も同じだ。急ぎすぎると視界が狭まる。時には一時停車して、周りの風景をゆっくり眺めてみよう。気づかなかった世界がきっとそこにある。

人は考えるときは視界を狭める。眉間にしわを寄せる。ロダンの考える人のように、身を屈めてうつむく。外からの刺激を遮断して集中できるようにするためだ。純粋に考える時はそれでいいけれど、悩んでいる時は、その姿勢によってますます悩みは深くなる。

目と目の間を離そう。そうすれば人生の視界が広がる。悩んでいるときこそ、これを心がけよう。目と目の間を離して、背筋を伸ばして、大きく胸を張れば、悩めなくなる。悩んでいることが馬鹿らしくなる。

人は心の視界が狭くなると自分中心になる。周りが見えなくなるからだ。それだけでない。自分も見えなくなる。視界が広がれば、自分を客観的に眺めることができる。自分の生き方を冷静に見ることができる。一人で勝手に悩んでいることが滑稽に見えてくる。

心の視界を広げるとは、どういうことなのだろう。単に広く周りを見るということでなく、自分が一人でないこと、支えられて生きていることを実感することかもしれない。それによって隣にいる人の気持ちも理解できるようになる。目に見えない大切なものが見えてくる。