聞くということ 2013.03.03-03.09

人間関係の基本は、聞くことだとつくづく思う。まずは相手から聞く。それが大切だとわかっていても、聞くことは難しい。聞くということは、それなりの人間的な修養を必要としているのかもしれない。それだけ奥が深いということなのかもしれない。

「聞く」と「見る」は違う。見るは感覚器で情報を選択できる。見たいときはそこに目を向け、見たくないときは目をそらして、瞼を閉じればいい。聞くはそうではない。全ての信号が耳からそのまま入って、情報の選り分けは脳でおこなう。聞く耳を持たない人は、聞く脳を持っていないのである。

「見る」の中枢の視覚野は脳の外側にある。それに対して「聞く」の中枢の聴覚野は、どちらかといえば脳の内側にある。感情中枢である大脳辺縁形に近いところにある。その意味では、聞くは見るよりも感情に直接訴えやすい。いい音楽にうっとり陶酔するのはそのためである。

「聞く」と「言う」は大きく違う。言うは自分中心で、自分が主役だ。いわば自己主張である。それに対して、聞くは相手が中心となる。まずは自分を捨てて相手を主役におく。心に余裕がないとそれが難しい。聞くことができるかどうかは、実は自分の心の余裕が試されているのである。

カウンセリングでは、助言よりもまずは聞くことが大切である。本人の悩みをじっくり聞く。そのうちに悩んでいる本人が自分で答えを見出す。それが本当の解決になる。教育も同じだ。自ら学び解決する。そのためには、単に教えるのではなくて、「聞く」教育が必要となる。

香道では、香りを聞くという。嗅ぐではない。嗅ぐという一方的な行為でなくて、「聞かせていただく」という気持ちがなければ、香を嗜むことはできない。茶の湯も同じだ。日本には、聞くという大切な文化がある。忘れてはいけない心がある。

「聞く」は心の営みである。相手の立場にたって、相手を尊重する。その心がなければできない。心が謙虚でなければできない。さらには、心が静寂でなければできない。澄んでなければできない。濁っていると何も聞こえなくなる。「聞く」は奥が深い。