人に優しい技術 2013.03.24-03.30

最近の技術開発の方向の一つに「人に優しく」がある。これまでの技術は人に優しくなかった。機械にあわせることを人に要求した。これに対して、機械を人にあわせる。それが「人に優しく」の方向である。でも、そもそも「優しい」とは、どういうことなのだろうか。

これまで機械は人に優しくなかった。優しくない機械には、人は自然に距離をとる。距離があるという意味では、機械は人にとって安全であった。ところが、機械が見かけだけ優しそうな顔をして人に近づいて来ると、それはむしろ危険になる。人はそれを安易に受け入れてしまうからだ。

コンピュータやロボットなどの機械は、ますます人に優しくなる。本当の人との間にはさまざまな葛藤があるが、それがない。機械は、人の命令を何でも聞いてくれる。従順に仕えてくれる。もし機械が人よりも優しくなったら、つきあう相手として、人は機械を選ぶかもしれない。

今は廃刊になってしまったけれども、bitという情報系の雑誌の巻頭言に「コンピュータは人の友人になってほしくない。あくまで友物であってほしい」と書いたことがある。コンピュータが目指すべきは人ではない。あくまで人にとって使いやすい物でなければならない。人と物を混同してはいけない。

母親の本当の優しさとは、単に子どもの言うことを何でも聞いて、子どもを満足させることではない。それでは子どもは怠惰になるだけだ。機械も同じだ。人を怠惰にさせるのではなくて、成長させる。それができたときに、機械は本当に人に優しくなる。

機械は、これからますます人間化するだろう。しかしそれには限界がある。むしろ怖いのは、それによって人が機械化することである。人が心も含めて機械と同じになってしまうことである。それはすぐにでも起こる可能性がある。いやすでに起きているかもしれない。

人は機械よりも遥かに素晴らしい存在である。「機械は人間になれない。なろうとしてもいけない」。一方で「人間は機械になれる。しかしなってはいけない」。これは、かなり前に技術系の学会で講演した時の標語であるが、技術の研究者としての自分への戒めの言葉でもある。